広大な土地を占有し基地にしておいて、「殺風景な感じが絵になりますね」とツイートする嘉手納基地
これが在沖米軍。
戦後、米軍は嘉手納町の面積の88%もを接収し、ひろびろとした嘉手納基地を作った。
ローラーで潰されたのは、そこで生きてきた嘉手納の家々と町、すべての人々の思い出と歴史だった。
そして、さらっと
「殺風景な感じが絵になりますね😏」
と言われても、これで、おおおおーと感動するのは、沖縄の歴史を知らない者たちだけだ。
なんなのか、この一種、おぞましいほど鉄面皮的な無知と無神経さは。
頼むから、米軍をなんとかしてくれ ! 先日も海兵隊のトップ、ネラー総司令官が、「普天間に住む人はいなかった」と発言した。
👆昔の思い出を振りかえるなら、沖縄の歴史を学んでからにしろ、そして他人の傷みに気付く事が出来る人にもなれ
— kie (@kie75286428) May 31, 2018
1944年以前にも遡ったらいかがでしょうか。殺風景とは程遠い眺めが広がっていたはずですね。
— errin (@ya_ru_14) May 31, 2018
この者たちが語る「殺風景な感じが絵になる」の土地の下には嘉手納の人々の暮らしが、歴史があったというのに。
わざと挑発しているのですか?
— Okinawaot (@okinawaot) June 1, 2018
焼け野はらにして、嘉手納を占領したこの写真が「絵」になる?
アメリカ人全体が疑われるような
コメントするな広報担当!
ばかか
何故殺風景かといえば全部焼き尽くしたからですよね?私の祖父の土地も嘉手納基地に接収されました、早く返してくれませんか? https://t.co/hLjTHvSxYW
— Shinako Oyakawa (@Oshinako) May 31, 2018
嘉手納飛行場の歴史については、こちらを参照。日本は国家総動員のもとで、1944年に嘉手納に北飛行場 (読谷) の補助となる「陸軍沖縄中飛行場」を造成、一年もたたないうち、米軍はここを本土攻撃の拠点とするため、整備拡張をつづけ、3,700m の滑走路を二本持つ巨大基地となって現在に至る。
基地負担軽減どころか、外来機で騒音は増大。そして基地汚染も深刻だ。
#throwbackthursday 1969年知花弾薬庫では毒ガス漏れが起こり25人が病院に運ばれた。その前年1968年具志川の田んぼで見つかった11本足のカエルの写真。この辺りではこうした奇形ガエルが何匹も捕獲され子どもたちから『 #具志川蛙 』と呼ばれていた→ https://t.co/DsMFD8T7Tu #沖縄 #米軍 #化学兵器 pic.twitter.com/VKZydrf4q3
— シャムロック (@shamrockflag) May 31, 2018
しかも、この写真の数年前、
1959年6月30日、嘉手納の戦闘機が小学校に墜落炎上した。この事故で、重軽傷者210名、小学生11人を含む18人が犠牲となった。撮影した写真も、米軍統治下では米軍に没収された。
くしくも、今日、その写真がアメリカ国立公文書館で発見された件がニュースになっている。
59年前、アメリカ統治下の沖縄で小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落し、児童を含む18人が死亡した事故で、大けがをした児童らの写真が見つかりました。この事故の負傷者を捉えた写真は珍しいということです。
昭和34年、アメリカ軍嘉手納基地を飛び立った戦闘機が、今のうるま市の宮森小学校に墜落し、児童11人を含む18人が犠牲になりました。
事故では200人以上がけがをしましたが、このうち、大けがをして軍の病院で治療を受けた児童ら32人の写真が、アメリカの国立公文書館に残されているのを戦争や基地に関する資料を収集している沖縄のNPOが見つけました。
100枚を超える写真はアメリカ軍が病院内で撮影したもので、頭に受けた大きな傷を縫い合わせた6歳の女の子の姿が記録されているほか、やけどを負った腕が黒く変色した9歳の女の子の様子からは、激しい火災が起きたことがわかります。
当時、沖縄はアメリカ統治下で、地元の記者たちが撮影したフィルムを軍が没収するなどしたため、負傷者を捉えた写真は珍しいということです。
事故を語り継ぐ活動をしている「石川・宮森630会」の久高政治会長は「子どもたちの体に刻まれた深い傷痕が事故のすさまじさを示している。事故について多くの人により深く理解してほしい」と話しています。
さて、今月は、その石川・宮森小ジェット機墜落事故から60年目である。アメリカ世からヤマトゥヌ世へ。時代は変わっていったが。
ヤマトゥヌ世で、何が変わって、何が変わらなかったのか。土地を奪われ、ローラーで轢き潰されたうえに「殺風景な感じが絵になりますね」と言われても、
沖縄は歴史を引き継ぐ。
石川・宮森小ジェット機墜落事件60周年ー「記者座談会」(6月16日)のご案内
来る6月16日(土)、午後2時~5時、うるま市石川地区公民館で「石川・宮森小ジェット機墜落事件60周年ー記者座談会」を催します。
1959年6月30日に発生した石川・宮森小ジェット機墜落事故。事故当時、現場にいち早く駆けつけた地元2紙の記者たちは、米軍がフイルムを没収しようとするのに抵抗して貴重な写真を残しました。当時の記者たちがどのような状況下で取材をしたのか、59年後にしてはじめてその実相を語ってもらう予定です。
さらに、2009年の50周年の際には、地元2紙とも遺族や被災者の取材をもとに特集を組んでいますが、当時担当した現役の記者たちがどのような思いで取材にあたったのか?来年事故から60年を迎えるなかで、記者の目から見た宮森小ジェット機墜落事件の実相に迫ります。多くの県民、市民の参加を呼びかけます!
座談会でお話していただく方は以下の通りです。
【当時の記者】
琉球新報:森口 豁氏(ジャーナリスト)、上原直彦氏(ラジオディレクター「民謡でちゅううがなびら」)
沖縄タイムス:池原善福氏
【現役の記者】 50周年を取材 比嘉 基氏(琉球新報)、 天久 仁氏(沖縄タイムス)
40周年で米軍の事故報告書を明らかにした 土江真樹子氏(TVディレクター)