Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

嘉手納基地、ひろびろリッチな占領自慢 ← 無知と無恥で誰向け投稿 !? 米軍広報は正気なのか !?

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また、嘉手納基地の広報担当がスゴい投稿をしていた。無恥というのは、怖いものなしだな。

 

沖縄の占領を自慢げに語る在沖米軍基地。

 

 

在沖米空軍嘉手納基地 on Twitter: "嘉手納基地の住宅街の風景です。

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常識的に言って、人々を収容所にぶち込み基地建設を進め、その後も拡張に拡張を続け、人々は米軍が捨てたテントやトタン屋根の密集した地域に住むしかなかった。いまも沖縄の一等地の嘉手納でなんと東京ドーム約425倍もの面積を占領し続けている嘉手納基地が、ほらこれ見て基地は豊かで素敵よ、的な SNS の公式ツイートをするのは、賢明なことなのだろうか。

 

戦後は、昭和23年4月頃まで、嘉手納飛行場内の部分的通行が可能であったが、その後、米軍の飛行場管理が強化され、全面的に通行立入が禁止されたため、村域が完全に二分された。このため、昭和23年12月4日付けで分離独立し「嘉手納村」としての第一歩を踏み出した。ところが、分村まもない昭和25年、朝鮮戦争の勃発によって米軍は嘉手納飛行場を「極東最大の空軍基地」として重要視し、逐年整備拡張され、昭和42年には4,000メートル級の2本の滑走路を完成させ、実に町面積の約82パーセントにのぼる膨大な面積が同飛行場や嘉手納弾薬庫地区として接収され、住民は残された約18パーセントのわずかな土地での生活を余儀なくされた。このため地域活性化の主柱となる生産活動の基盤整備やまちづくりなど大きな制約を受け、恒常的に発生する航空機騒音等もあって町の衰退の要因となり、「基地の島、沖縄の縮図」といわれてきた。

嘉手納町嘉手納町と基地」(令和元年)

 

騒音と悪臭と発がん性物質の流出に歯止めがかからないだけではなく、このような無知と自慢のたれ流しに、つける薬はあるのだろうか。

 

www.okinawatimes.co.jp

ryukyushimpo.jp 

 

嘉手納基地の膨大な土地は沖縄の住民から強制接収したもの。そして贅沢三昧の住宅とインフラ、芝生の管理や維持はすべて日本の国民の税金でまかなわれている。

 

それを知っていて、ご覧ください、みごとでしょう、とは、よほどの神経である。

 

みんなの声。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

在日米軍は、どれだけ「不適切」な投稿しても謝罪しないでいい。正真正銘の在日特権だからね。

 

 

 

 

 

このような嘉手納のツイートは誰向けに投稿されているのだろうか。

 

ともかく、これが在沖米軍の本質であることは間違いない。

 

ospreyfuanclub.hatenablog.com

 

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