日本政府は公式に謝罪を求めよ、海兵隊トップのネラー総司令官が「普天間に住む人はいなかった」発言 - 人々から故郷を奪い基地建設しておいて語る言葉がこれか !

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普天間飛行場は非常に古い施設で第2次世界大戦にさかのぼる。普天間の建設当初の写真では数キロ以内に住む人はいなかった」と語る米海兵隊トップのネラー総司令官

  

あなたには、故郷を奪われ歴史すら否定された者たちの気持ちが理解できるか。

 

freeokinawa.hatenablog.com

 

例えばアメリカで、ホロコーストはなかったとか、奴隷貿易などなかったとか、奴隷制で苦しんだ黒人奴隷はいないとか、アイルランドの植民地支配はなかったなどと語ったら、一体どうなるか、想像してみよ。

 

ユダヤ人収容所にはガス室もなく、ホロコースト共産主義者のでっちあげだとか、ユダヤ人の賠償金目当ての詐欺だという、そのたぐいの歴史否定論者。

 

海兵隊トップのネラー司令官が沖縄に関して語ったことは、まさにそれと同質のものだ。

 

人々の故郷を奪い、すべて破壊しつくし、重機で潰して勝手に米軍基地を作っておきながら、沖縄の歴史を否定して、平然と普天間に住む人はいなかった」と語る米海兵隊ネラー司令官

 

こうやって軍というものは、73年の年月を経ても、自らの軍が蹂躙した住民の、自らが駐留している国の、その歴史すら消滅させようとするのか。

 

普天間飛行場も、あの沖縄戦を生き延びた住民が収容所に隔離されている間、すべて住宅も公民館も跡形もなくブルトーザーで踏みならし造成して作られた。

 

そうして普天間基地を作って今もそこに駐留しておきながら、これが「良き隣人」を自称する海兵隊のトップの言葉なのか !

 

さらに、今も普天間周辺住民がレーザーを照射したりタコや風船を飛ばしたりして米軍機飛行を妨げているなどというなら、総司令官はその根拠を出せ ! さもなくば、知識と良心の欠落したネトウヨデマとしか思えぬ。

 

そもそも沖縄から海兵隊の数を減らし、海兵隊はグアムに移るといいながら、同時になぜ普天間基地の代替施設であるキャンプ・シュワブ = 辺野古基地が必要だというのか。

 

ネラー総司令官発言要旨 普天間、移設先確保まで運用

琉球新報

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ネラー海兵隊総司令官の会見での発言要旨は次の通り。

     ◇     ◇

 普天間飛行場の代替施設は数多くの理由で遅れている。日本政府と沖縄県の間の議論、環境、法的、埋め立て許可の問題があったが、ようやく解決できたと思っている。また、(体調不良の)翁長県知事の早期回復を祈っている。

 (在沖海兵隊のグアム移転に伴う)マリアナ諸島での訓練施設建設は環境問題はまだ残っている。

 (日米両政府の)合意は沖縄から海兵隊員の数を減らす、キャンプ・シュワブに代替施設を造る、海兵隊員はグアムへ移ること。計画に変更はない。スケジュールは明らかに遅れている。ようやく少しの進歩を見た。隊員の数をいつ減らせるかはグアムの訓練施設がいつ使用できるようになるかによる。代替施設はしばらく時間がかかる。

 普天間飛行場は非常に古い施設で第2次世界大戦にさかのぼる。普天間の建設当初の写真では数キロ以内に住む人はいなかった。今は普天間周辺の市街地はフェンスのすぐ近くに広がる。

 周辺住民が私たちの飛行機にレーザーを照射したり、飛行経路でたこや風船を飛ばしたりしなければ、(安全に)役立つだろう。われわれは皆が安全であることを願っている。私たちは日本の防衛のため、日本政府との条約で駐留している。

 移設先が確保できれば、喜んで普天間飛行場を出て行く。それまではできる限り安全に運用し続ける。乗組員は、問題があれば、安全な場所に着陸するよう訓練され、機体の安全を確保し、修理する。

 沖縄の人々に、乗組員と沖縄の人々の安全のために行っていることの理解を求めたい。沖縄の大部分の人々が米国の駐留を高く評価していることを知っている。私たちの大多数は良き隣人であり、良き友人だ。

 

 

4人に1人の沖縄県民の命を奪った沖縄戦、米軍は、沖縄上陸直後から生き残った人々を収容所にぶち込みつつ、前線では戦闘を、後方では基地建設建設を進めていった

 

neverforget1945.hatenablog.com

 

ひとりひとりの命だけではない。いとつひとつの家に歴史があり、人々の暮らしと思い出があった。そんなものは米軍にとっては何の価値のないものだった。

 

ゆえに沖縄公文書館に残る米軍提供の写真には、破壊され潰されていく家屋や街並みの写真は残されていない。米軍にとって都合が悪い写真はここには存在しない。ここにあるのは英雄としての米軍のイメージを形成する写真の数々だ。

 

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/14-37-3.jpg

ボーイングB-29スーパーフォートレスには頑丈な滑走路が欠かせない。普天間の第2滑走路では、第806工兵航空大隊の地ならし機が長さ8500フィート、幅200フィートそして厚さ12インチの石灰岩の地表にあるくぼみを埋めている。(1945年7月6日撮影)

(投稿者注: 上の和訳は、リンク先の和訳に投稿者が加筆したもの)

To handle the large Boeing B-29 ”Superfortresses” a very firm strip was needed. Here a sheeps-foot roller of the 806th EAB is seen packing down the fill on #2 strip at Futema  which was 8500 feet long  and 200 feet wide, with a 12 inch coral surface.

 

ブルトーザーと巨大なローラーでまっ平らに整地されていく普天間の写真だけが公開されている。かろうじて、下の写真一枚が、ローラーの向こうにかつてあった普天間の美しい松並木の姿を遠くにとどめているだけだ。

 

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普天間は沖縄中部の商業と行政のかなめであり、そこにはたくさんの行政施設と、人々の暮らしがあった。

 

特に旧宜野湾は宜野湾村の中心で多くの民家が建ち並び、松並木街道沿いには郵便局、宜野湾国民学校、役場等の公共機関や商店などもあった。

 

それを破壊して基地を作っておきながら、人は住んでいなかったとは、なにが「良き隣人であり、良き友人」なものか。

 

奪われたふるさと「目を閉じれば全てが思い浮かぶ。松とか家とか池とか畑とか」

 

故郷は“世界一危険な基地”普天間飛行場 玉那覇祐正さん

琉球新報

2017年6月21日 16:00

 

 「目を閉じれば全てが思い浮かぶ。松とか家とか池とか畑とか」。宜野湾市宜野湾で生まれ育った玉那覇祐正さん(84)は遠い昔を懐かしむように古里の風景を語り出した。

 

 国の天然記念物に指定された街道「宜野湾並松」(ジノーンナンマチ)が集落の南北を貫いていた。「平らな土地で、道がきれいで近所の家を簡単に行ったり来たりできた。サトウキビやイモがよくできる土地で、いい暮らしをしていた」と目を細めた。そして、こう付け加えた。「もし戦争が来なかったら、今もいい所だった」

大切なものは置いてきた

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「とてもいい所だった」と戦前の宜野湾の様子を語る玉那覇祐正さん=2017年5月、沖縄県宜野湾市宜野湾(又吉康秀撮影)

 

 玉那覇さんの古里は米軍普天間飛行場のフェンスの向こうにある。宜野湾村(現宜野湾市)の中心地だった字宜野湾には村役場や学校、市場、闘牛場があった。約300世帯(1903年時点)が暮らす、のどかな集落だった。沖縄戦から72年、玉那覇さんは今も古里に戻ることができない。

 1945年3月23日、米軍の空襲が始まった。当時11歳だった玉那覇さんは母、きょうだいとガマ(自然壕)に身を寄せた。その後、上陸した米軍の進攻を逃れ、地上に出て村内を逃げ惑った末、真志喜のガマで米軍に捕まり、収容地区を転々とした。

 

 父は「防衛隊」として日本軍に動員されていた。収容所に連行される日本兵の中に父の姿を探した。「お父さんではないかと何度も見に行ったが、戻ってこなかった」

 

 父の遺骨は見つかっていない。父の持ち物や写真も失った。「大切な物は壕に置いていた。誰も飛行場になるとは思わなかった」。避難中に持ち歩いた急須が父の面影を思い起こす唯一の形見となった。戦前、持ち手が壊れた際に父が自転車の部品を再利用して修理したものだった。

 

 宜野湾村内での居住が許され、玉那覇さんと家族も移った。しかし、食料不足は深刻でソテツを食べて飢えをしのいだ。マラリアにも苦しんだ。「私たちのような母子家庭を助ける余裕のある人はいなかった。ひもじくて、ひもじくて」

 

普天間辺野古…板挟みの宜野湾市

 

 終戦から約2年後、現在の宜野湾区で暮らし始めた。元の集落は飛行場内に消えていた。「家は形もない。瓦一つも落ちていないほど敷きならされていた」。残された土地で一から生活を家計を支えるため、15歳のころから米兵の靴磨きや庭の手入れをして働いた。

 

 現在地に落ち着いても安心できる日々はほど遠かった。48年8月、武装した米軍所属のフィリピン人兵士が女性を拉致しようと集落に押し入り、応戦した男性たちに発砲した。翌朝、撃たれた男性が手で地面をかきむしる姿勢のまま死んでいるのが見つかった。「フィリピナー事件」として地域で語り継がれている。今も米兵の事件や事故が報じられるたび、惨劇が脳裏をよぎる。「いつになれば沖縄は安心して平和に暮らせるのかね」

 

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「こっちも早く返してほしいけど、辺野古の海も埋め立てて汚したくない。それがみんなの気持ちじゃないでしょうか」と話す玉那覇祐正さん=2017年5月、宜野湾市宜野湾(又吉康秀撮影)

 

 戦争は大切な人や物、土地を奪ったが古里の記憶は消えることはなかった。古里の存在をなかったことにされたくない思いから、字宜野湾郷友会は2016年、戦前の集落を再現したイメージ映像を作った。インターネット上などで流布される「何もない場所に基地ができた」という誤った認識を正すためだった。

 

 日米両政府が普天間飛行場の返還を合意して21年が過ぎた。政府は名護市辺野古への移設が条件だと固執し、新基地建設に反対する県と対立が続いている。「こちらも早く返してほしいが、辺野古の海も埋め立ててほしくない。つらいですね、つらいです」

 

 玉那覇さんから笑顔が消え、思い詰めた表情で言葉を絞り出した。

(明真南斗)

 

 日本でわずか 0.6%しかない沖縄の土地に、日本の 71%もの米軍基地負担を押しつけ、その多くが海兵隊の基地である。米軍駐留費用も辺野古建設費用もグアム移転費も、その多くを日本が負担しているというのに、

 

許しがたい米軍の事件や態度一つ一つを本土メディアはしっかりと報道しているのか ?

 

昨年5月15日の本土復帰45周年に、NHK はこんな報道をした。

 

www9.nhk.or.jp

45年前の5月15日、“本土並み”を夢見て、復帰を果たした沖縄。しかし、今なお、重い基地負担が変わらない中で、本土との“溝”はかつてないほどに深まっている。今回、NHKは、世論調査を実施。その結果、「本土は沖縄の気持ちを理解していない」と答えた沖縄県民は7割に上り、6割近い沖縄県民が、「この5年ほどの間に沖縄に対する誹謗中傷が増加したと感じている」ことが明らかになった。深まる“溝”を読み解き、どうすれば埋めることができるか、考える。

 

だから !

 

深まる「溝」とやらを作って本土から沖縄を切り離しているのは、そもそも NHK をはじめとした本土メディアではないか !

 

沖縄を遠い対岸の火事のように報道するのはもうやめてくれ。

 

日本は、沖縄に押しつけた破壊と基地負担と日米安保地位協定の問題を、そろそろ自分事として考え、

 

海兵隊のネラー総司令官に公式な謝罪を求めよ !