さよなら下地市政 ~ 2021年宮古島市長選挙
これが答えである。
2021年1月17日 宮古島市長選挙
保守系市長の会「チーム沖縄」をたちあげ、県民投票の不参加も真っ先に旗振りした、宮古島は下地敏彦の下地市政、さようなら、これが宮古島の市民の当然の、そして圧倒的な答えである。
2021年1月17日の宮古島市長選挙。1万5757票 vs 1万2975票。2782票差で落選した。
この四年間の下地市政でおこった不条理のひとつひとつ、そのたびそのたびごとに、四年前、あの絶対に勝てる選挙で候補選びを分裂させ、それでも奥平氏との票差は375票で下地のギリギリ当選だったことが苦々しく思い出される。
実際には基地利権の組織票だった下地票。
宮古島市長選挙、陸自配備反対の奥平一夫さん現職の下地敏彦市長に僅差で負ける。 - 琉球弧の軍事基地化に反対するネットワーク
いったい、あれだけ地元で厚い信頼を寄せられ敬愛されている奥平一夫という候補を掲げながら、四年前に出せていたはずの宮古島の市民の声を、誰がみすみす潰したのか。この四年間、宮古島の市民がうけた、そして今も受け続けている数々の不利益の責任は、そこにあるといっても過言ではない。
あの県外由来の右翼団体「チーム沖縄」と同じ名前の保守系市長の会「チーム沖縄」を立ち上げたのは下地敏彦氏であるが、
しかし、基地建設利権と権力追従ウヨウヨ市長連「チーム沖縄」も、落選続きでぼろぼろ。今やその会長までもが落選という顛末に。
市長
元会員
今年、残るはうるま市長選挙である。島袋市長は引退ということになっているが、
島民と民主主義を無視した「安全保障」など、なんの安全の保障にもならないことは、75年前に我々が既に経験としてもっているものである。
宮古島は、日本の総務省が言うところの「生と死の向きあうもう一つの戦争」を経験した。それは日本軍の基地建設から始まったが、それとまったく同じことをいちから繰り返しているようでは、だめなのだ。
苦々しさは山のようにある。しかし民主主義があるかぎり、どんなに攪乱されようと、市民の声を完全に封じ込めることはできないということを、宮古島の選挙は示したといえる。
この五人にはちゃんと責任とってもらおう。