被害者は事件でPTSDに苦しみ、4年後(2012年)に亡くなった。残された遺族の苦しみは計り知れない。代理人は2009年から2014年までに5回も損害賠償請求を行っている。
しかし事件から9年の歳月がたっても、「日本側の審査が終わっていない」という理由で補償金は未払いのままだ。
九年間のあいだ、何も払われていない。
米軍人が事件をおこし、被害者は沖縄県民。
日本政府よ、
沖縄県民は、死という『症状の固定』すら認められないのか?
この問題で言えば、むろん、
日本側も加担しているのだ。
日米地位協定という不平等な装置に、日本が積極的に加担して国民を虐げているのである。
2017年9月16日 06:20
9年間補償がされていないことに憤りをあらわにする宇良宗之さん=15日、琉球新報社
2008年1月に沖縄市で発生した米軍人2人によるタクシー強盗致傷事件で、丸9年以上たった現在もまだ被害者側への補償がされていないことが15日までに分かった。沖縄防衛局によると、日本側の補償審査が終わっていないため。被害者側代理人の新垣勉弁護士は「あまりにも遅過ぎる。防衛局は被害者救済の意識が欠けている」と批判した。今後、米軍人に対する民事訴訟も検討しているという。
事件は08年1月7日、沖縄市美原で発生した。米海兵隊伍長=当時(20)=と、1等兵の少年=当時(19)=が、現金を奪おうとタクシー運転手の男性を酒瓶で殴るなどの暴行を加え頭部裂傷や頸椎(けいつい)捻挫などの重傷を負わせた。2人は強盗致傷容疑で逮捕、起訴され、共に実刑判決を受けた。
男性の長男の宇良宗之さん(32)によると、男性はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しめられた。補償が果たされないまま、12年に病気で亡くなった。
宗之さんは9月12日に沖縄防衛局に質問状を出した。
15日の回答によると、男性の当時の代理人は09年5月から14年10月まで、5回にわたり損害賠償請求書を提出した。損害額の合計は約2250万円という。
公務外の米軍人らによる事件では、加害者との間で示談ができない場合、被害者の請求を受けた防衛局が審査し、報告書を作成。米国側が報告書を審査して慰謝料額を決める。
米国側の慰謝料額と日本国内の民事裁判で決定した賠償額に差がある場合は、日本政府が差額を支払うことが1996年のSACO(日米特別行動委員会)合意で定められている。
しかし男性のケースでは、防衛局は宗之さんへの回答で「損害額の算定のために症状の固定確認が必要で、医療機関の診断を待っていた。また各種証明書について、不足しているところを(当時の)弁護士に指摘し、提出を依頼していた」と、日本側での審査が終わっていないと説明した。
新垣弁護士は、自身が関わってきた請求事例から「通常2年以内には支払われてきた」とし「治療中ならまだしも、被害者が亡くなった時点で防衛局は自ら調査する必要があった」と疑問視した。
宗之さんは「父は最後まで補償されていないことを気にしていた。いつまで待てばいいのか」と話した。