Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

公教育の現場に海兵隊がやってきた - 英語教育を口実として「新たな人材育成策として米軍を活用」する伊江中学校の場合 - 沖縄だけに押しつけられる軍学一体化

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中学の教室に軍人がやってくる。

 

しかも今年の二月から

毎週授業を行う。

 

これは戦前戦中の中学の話なのだろうか。

 

英語教育のためなら、軍人を公教育の現場に招きいれ、教室で授業させることも問題なし、という、見境のない「アイデア」を思いついたのは、伊江中の教頭だという。

 

 

海兵隊員が伊江中学校で英語の授業をサポート

 

沖縄県伊江村 -- 米軍伊江島補助飛行場に駐留するアメリ海兵隊の隊員らが伊江村立伊江中学校を訪れ、英語の授業をサポートしました。

 

赤嶺美奈子教頭が、中学生たちにクラスで学んだ英語の練習をする機会を与えたいと隊員らに声をかけ今年2月から隊員らが同校を訪れるようになりました。

 

隊員らは毎週同校を訪れ、主に英語のクラスを中心に授業に参加し、中学生たちをサポートしています。

 

今回、初めて学校訪問に参加したリンチ上等兵は「中学生たちと交流できて、とても楽しかったよ。中学生たちは英語にとても興味を持っていて、ほんとに素晴らしい体験だったよ」と述べていました。隊員らはグループごとに分かれた中学生たちに英単語のつづりや発音を丁寧に教えていました。

 

英語クラス担任の内間先生「生徒たちがアメリカ人と頻繁に交流することは、英語を学ぶ絶好の機会だと思います。生徒たちは彼らの訪問を非常に楽しみにしていて、この訪問の成果の一つは、アメリカ人と会話ができるようにと、英語を勉強したい生徒が増えたことです」と述べていました。

 

新垣博文校長は「生徒たちがライフスタイルの異なる海兵隊員と交流するのを見るのは素晴らしいことです。私たちが焦点を当てているスキルの一つがコミュニケーション能力です。生徒たちがさまざまな文化を学び、勉学に励み、将来は故郷に戻って来て、島の発展に貢献できるようになっていただきたいと考えています。私たちの教育原則の一つは、英語教育に焦点を当てることです。私たちは英語教育のため、生徒たちが実用的な英語に触れることが重要であると考えているため、島にいる海兵隊と連携して、文化交流および友好交流を行っています」と説明していました。

 

4月からボランティアで参加しているアラード軍曹は「私たちの訪問は、地域との関係を構築するのに役立ちます。生徒が村内で私を見かけて、手を振りながら『ハイ、クリス』って呼んでくれたら、嬉しくなりますね」と話していました。

在日米海兵隊 - 海兵隊員が伊江中学校で英語の授業をサポート 沖縄県伊江村 --... | Facebook

 

だいたい、地元との協定を守らず、住民の申し入れや抗議を徹底的に拒絶し、住民や被害者家族の申し入れ書を受け取ることまで拒絶している在沖米軍から、どうやって子どもたちが「コミュニケーション能力」を学ぶというのだろうか。

 

平安山良尚区長は「先日も、民家の上空で降下訓練をしているのを目撃した。何度抗議しても聞く耳を持たず、やりたい放題だ。伊江島の米軍施設は、復帰前の運用が今も続いている」 と語る。

  

地元に耳を貸さない軍に「会話」を学ぼうとするより、軍が常套的に行う様々な対外的なイメージ戦略の「読み方」について、学ぶのが優先事項ではないだろうか。

 

というのも、海兵隊は伊江中の海兵隊員との授業風景や、生徒と一緒の給食時間を写真撮影し、在沖海兵隊のイメージアップ広報として使用する。海兵隊にとっては一石二鳥である。

 

 

 

在日海兵隊の公式アカウントには、このようなツイートが膨大に寄せられるが、不思議なことに、それではその「素晴らしい」海兵隊を本土で引き受けましょうというツイートは皆無なのである。羨ましいなら、今も伊江島の35%を占有し、戦闘機の轟音を響かせる飛行場ごと、ごっそり引き取ってくれればいいわけだが。

 

さらに注意したい点は、海兵隊員が毎週金曜日に中学校を訪れ、「主に英語のクラスを中心に授業に参加」しているとあるが、英語の授業以外にも、ほかにもいろいろと参加する。給食を一緒に食べる、などなど、

 

 

いったん軍人が学び舎の門をくぐれば、「教育の独立性」を維持するどころか、米軍との連携行事や活動など、活動を制限することは難しくなる。

 

しかし、驚くことに、伊江中の教師たちが、こうした軍学一体化になんの違和感も疑問も抱いていないことである。

 

いったいこの百年間の日本の教育史の知識すらないのだろうか。校長に至っては、中学生が学内で海兵隊と交流するのは「素晴らしいこと」と語っている。

 

しかし、これら赤嶺教頭が海兵隊の隊員に声をかけて始めたという伊江島中学の「米軍活用」は、なにも赤嶺教頭の思いついた「斬新な」教育メソッドではない。

 

斬新などころか、じつは昨年、日本政府が沖縄の教育現場に「提言」した「沖縄の英語教育に米軍活用」に、学校側が、そのまま従ったまでのことだ。実に情けない。

 

「英語教育に米軍活用」 自民、人材育成で提言 基地固定化と反発も

沖縄タイムス

2018年5月26日 08:30

 

 自民党が25日までにまとめた政府への提言「今後の沖縄振興の方向性について」に、新たな人材育成策として米軍を活用し英語教育を図る記述が加えられた。負担軽減は図りつつ、米軍関係者との交流で国際性豊かな人材を育てるのが趣旨だが、推進により基地の固定化につながると反発も招きそうだ。

 

 提言書は、政府の骨太の方針に反映させるため、沖縄振興調査会のメンバーらが来週、菅義偉官房長官に手渡す。

 

 18日に沖縄振興調査会などで議論した際に、英語教育についても盛り込むよう意見が出た。24日の政務調査会で「国際社会で活躍する沖縄の人材の育成のため、在日米軍の協力を得て、英語教育の一層の充実を図る」と追加した提言書を決定。米軍関係者やその家族などが学校で放課後に英語を教えることやアメリカンスクールとの学校間交流などを想定するという。

 

 河野太郎外相が昨年12月に来県した際に「沖縄の国際化に積極的に貢献したい」とし、県内の学生を米国へ毎年派遣する計画を説明。在沖米軍基地内の大学への入学の推進、英語で授業する新設校に米軍関係者と日本人の子どもたちが一緒に通うことなども検討材料として挙げていた。翁長雄志知事は「学力を高める意味で一定の意義はある」と評価しつつも、「基地があるからできるというのは県民が警戒心を抱く」と積極的な推進は求めなかった。

 

 猪口邦子調査会長は「負担軽減は進めるが、しばらくは基地が残る。ならば米軍関係者から英語を学ぶことで、沖縄の子どもたちが世界に羽ばたくチャンスが広がるかもしれない」と説明した。

 

そして安倍政権は昨年6月15日の閣議決定で、「沖縄振興策の方向性」として、「米国の協力を得た英語教育の充実」を盛り込んだ。

 

ここで最も重要なのは、日本政府は、なにも米軍を学校教育に「活用」する教育策を、本土でやろうとは考えていない、という点である。

 

沖縄の教育現場にだけ「米軍を活用」して「新たな人材」を育成しようとしているのだ。

 

どうやってもまっとうに選挙や県民投票で勝ち目のない自民が、いま重視しているのが、若年層をターゲットにした「沖縄の教育に米軍を活用せよ」という施策。

 

差別的なまでの、その政策の本当の意味と目的を伊江中学の校長と教頭は理解できないほど愚か者ではないはずである。

 

今の教育現場には、人員も足りず、資金もなく、時間もない。

 

しかしそれは敗戦前の教育現場も全く同じ情況だった。教育行政が内務省に取り込まれ、監視され制御されていく過程に、こうして人為的に枯渇した教育行政が利用された。

 

  1. 「敗戦前における内務省による教育行政に対する関与 ―文部省による「教育権の独立論」の淵源―」梅本大介 (早稲田大学大学院教育学研究科紀要別冊20 号―2 2013 年3月)  https://waseda.repo.nii.ac.jp
  2. 2-2「教育者」の沖縄戦 - 内政部教学課 「教育者は、戦争協力者になってしまった」 - Battle of Okinawa

 

海兵隊員を毎週の授業に取り入れたという伊江中学だが、島に最初の軍の飛行場が建設される際、日本軍とその兵士を島民みんなで支えた。その際、こちらの記憶が正しければ、伊江島中学も日本軍の駐屯地となったはずである。

 

 昭和19年に入ると、伊江島飛行場設営のため、北部一円の労働者が徴用され、羽地青年学校生徒まで動員の手は及んだ。十・十空襲には工事現場で32名の犠牲者中13名はこれらの生徒であったという。このような犠牲者を出したにもかかわらず、同飛行場は翌年3月23日の空襲の結果、日本軍自らが爆破したのであった。
 県立三中・同三高女の生徒も決して例外ではなかった。学校の機能はほとんど停止し、三中生徒は伊江島飛行場設営はもちろん、兵器の取り扱いや通信兵として訓練に明け暮れ、三高女生徒は消防団や婦人会にまじって消火・救護訓練、はては竹槍訓練や軍隊の下働きにまで加えられる。

 

しかしその結果は皆さんもご存知の通り、日本軍の基地の島となったゆえに島自体が逃げ道のない地獄へと化した「伊江島の戦い」だった。住民の約半数がそれでいのちを奪われただけではない。その後、今度は、米軍基地の島となった伊江島に、島民は二年以上も戻ることができず、いまだに島の 36%は米軍に接収されたままである。

 

okinawa1945.hatenablog.com

 

74年前の沖縄戦では、県民の四人に1人の命が奪われたが、学徒動員をかけられた中学生たちは、最低でも二人に一人が親元に帰ることができなかった。

 

沖縄戦における学徒動員の戦死者率は、現在わかっているだけでも 51% 。それは、学徒を引率した教員の戦死者率 40% よりも圧倒的に高い。生き残った教師たちはいったい何を考えたのか、そのおぞましい「罪」に、ひとりひとりの教育者が向き合うことから戦後の教育は始まった。

 

つまり、教育の独立性である。

 

わかりやすく言えば、政治力、ましてや軍の影響力から子どもたちの「学び舎」をまもる、ということだ。

 

そして、戦後から74年。教育現場が貧すれば、日本軍でも米軍でも「活用」するという伊江中学校側の判断は、スマートなものなのか。

 

どうやら、伊江中の教頭も校長も、そう考えているようである。要領よく軍を利用すればよい、と考える。

 

しかし、それは逃げ道をたくさん持っている狡猾な大人の話だ。

 

74年前、本土からやってきた水産学校の校長は、軍服を着て威勢よく軍隊式を取り入れた。敬礼や挙手なども他校に先んじて導入し、軍や県庁からの評価が高かった。しかし、いざ沖縄戦が避けれない状況になると、ポンポン船に乗って本土に帰っていく。また戦場を逃げまどうひめゆりの女子学生たちを、ある校長と教員は石を投げてまで追い払ったという。

 

battle-of-okinawa.hatenablog.com

 

とかく立身出世に賢しい大人は変わり身が速い。死の意味を知り、妥協を知っている。ゆえに教師は要領よく目の前の危機から逃げることもできる。しかし子どもたちは違う。それがあの戦死者率の差に出てくる。

 

戦後、人々を戦慄させたのは、引率した教員よりも多くの学徒が戦死し、沖縄戦で4人に1人が命を奪われた沖縄戦で、現時点でわかっている限りにおいて、学徒動員された子どもたちの戦死者率は、引率教員の戦死者率 (40%) をはるかに上回る、半数以上 (51%) の子どもたちが戦場で死んでいったという事実だった。

2-2「教育者」の沖縄戦 - 内政部教学課 「教育者は、戦争協力者になってしまった」 - Battle of Okinawa

 

その現実を沖縄は経験してきたはずである。大昔のことではない、つい74年前のことだ。

 

NHK 戦争証言アーカイブス

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公教育の現場がどれだけ貧しようと、国家権力や行政、ましてや、米軍や自衛隊に授業枠を提供してはならない。

 

こうした戦後教育の「独立性」の維持は、ここでは完全に破綻している。

 

伊江島中学のこの案件は、これからしっかりとした議論がもたれるべきものである。

 

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「パラシュート降下は伊江島で」に不快感 村長「もろ手を挙げたわけではない」 | 沖縄タイムス

沖縄の基地負担軽減に逆行―不自然な米軍協力の「英語教育」 - 一人ひとりが声をあげて平和を創る メールマガジン「オルタ広場」

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2018/2018_basicpolicies_ja.pdf