米軍は
沖縄に上陸する前から、沖縄の人びとについて、
沖縄が歩んだ歴史について、築き上げた文化について、風習について、
様々な分野の学者が研究し、報告書をまとめた。
前線に送られた米兵たちは、その要約版を聞かされていた。
知らされていた「沖縄人」と実際に会った「沖縄人」は合致していただろうか。
ある米海軍中尉は、
『沖縄人には時間もなく、人生もない』と結論づけた。
そこだけ切り取ると、沖縄の人びとを軽蔑しているような発言だが、
この米海軍中尉は、アメリカ人と沖縄人を比較して、そう述べたのだ。
アメリカ合衆国という超大国は、その建国以来、他国に侵略されたことはない。
そのような国の軍人の目には、「沖縄人」は摩訶不思議な人種に映ったようだ。
それは、そうだろう。
もし、アメリカ合衆国に外国の軍隊が上陸し、
沖縄におとされたのと同じ量の砲爆撃を加え、
民間人が戦闘に巻き込まれて家族や親族を失い、
土地を占領されて、敵に労役を義務付けられたとしたら、
アメリカ人は、どう反応するだろうか。
米海軍中尉は、沖縄の状況を自分の国と国民に置き換えて考えた時、
沖縄人と同じようには振る舞えないと悟ったはずだ。
アメリカのように個人主義的なものの考え方では、
到底、当時の沖縄人の行動は理解できなかったのだろう。
アメリカ人だけでなく、どの国の人びとも、
沖縄と同じことをされたら、復讐心に燃えるはずだ。
しかし、沖縄人は知っている。
暴力に対し、暴力で対抗しても、なんの解決にもならないことを。
沖縄には、こんな教えがある。
『チュンカイクルサッテーニンダリーシガ チュクルチェーニンダラン(他人に懲らしめても寝られるが、他人を懲らしめると寝られない)』
これは、「自分が殴られて怪我しても寝ることができるが、自分が相手に怪我をさせると心配で寝れないという意。人を痛めつけてはいけないという教え。」だ。
(沖縄方言辞典より: https://hougen.ajima.jp/e3924)
この教えがあるゆえに、沖縄人は今も苦しむ。
沖縄の人びとが歩んできた歴史の、どの時点をとっても、
一個人が持つ時間では解決できない、一個人の人生のなかではどうにもならない、
それくらいの大きな勢力と、大きな問題を抱えてきた。
しかし、暴力で解決しようなどとは考えない。
それが「沖縄人」だ。
決して『沖縄人には時間もなく、人生もない』わけではない。
抱えているものが、途方もなく大きいのだ。
その大きさは、個人主義のアメリカ人の感覚では、決して計れないだろう。
neverforget1945.hatenablog.com
→ 72年前の昨日 / 1945年7月7日 / ハワイに送られた捕虜
https://www.facebook.com/ospreyfuanclub/posts/717214301800947
http://neverforget1945.hatenablog.com/entry/1945/…/08/000000