7月30日 - 730(ナナサンマル) その道 は軍のために作られた - 沖縄の明日に続く道は ?

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今日はナナサンマルの日。

39年前のその日をふりかえってみたい。

 

戦後・・・

 

米軍は、沖縄戦で島全体を爆撃焼き付くし、元々あったインフラを殆ど破壊したあと、基地間移動に必要な道路整備に着手しました。

 

上陸した 米軍がまず実行したのは、 道路の確保でした。

 

「沖縄侵攻作戦計画書」(アイスバーグ作戦) には「それぞれの 戦闘地域内において、35トン 荷重の負荷に耐たえる全ての主要交通道路の建設、再建工事及び修理担当の義務を負う」と記されています。

 

そして交通法規(進行方向)を米国に合わせ右側通行としました。日本とは逆です。

 

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

右側通行 那覇市

 

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右側通行 沖縄市

 

合衆国一号線(現国道58号)

 

米軍は 読谷 嘉手納両飛行場を制圧すると、まず、道路の道幅を広げ、改修を手がけました。

 

トラックによる物資や人員の移動、戦車などの通行の確保が 最重要課題であったことがうかがえます。

 

米軍が道路整備を始めたのは戦時中からで、戦後からではありません。

 

戦後も米軍の統治に必要だったため整備をすすめたのです。

 

「上陸ほどなく、沖縄 西海岸南部道路には合衆国一号線の 標識が各所に立てられ、道路が確保されるたび 工兵隊の計画に従って、全主要道路に番号をつけられ、同じような方法で道路 標識が打ち立てられていった」

 

と、当時の様子が 米陸軍部省戦史編集部の資料にあります。

 

収容された人々もすぐに 「一号線」(現国道58号)の整備に駆り出されました。

 

「一号線」は沖縄を占領するうえで不可欠で、もっとも最初に 確保された重要な米軍の施設でした。戦後沖縄のキーワードのひとつである「軍作業」は、道づくりからはじまりました。

 

その「合衆国一号線」が日本復帰後「国道58号線」になりました。

 

58daitai

 

沖縄本島の主要道路には道路標識が立てられ幹線が確保されると、米軍の必要に応じて道路管理と整備が行われるようになりました。

 

沖縄 群島道路条例

 

1951年(昭和26)年9月に「沖縄 群島道路条例 」が 公布されました。

 

この道路法は、現にある道路を

① 軍道路 、

② 群島道路 (後の政府道)、

市町村道

の三種に分けたものでした。

 

軍道路」とは米国軍 司令官 が認定した道路で、各基地をつなぐ 軍隊の移動、 軍需物資運搬の大型トラック等の通行 できるような道路を新設または改修しました。従来からあった主要道路の道幅を広くして、道路のなかった地域には道路を新設しました。

 

この道路を土煙をあげて通行する米軍トラックの列は、当時の陸上交通の 風物にもなりました。

 

軍道路の幹線は、片側二車線の路側付きの 簡易舗装 (コーラル敷)の直線道路で、 中央分離帯が設置されていないことから、「軍用機の滑走路に使用するための道路で、コーラルの下に鉄板が埋められている」とも言われました。

 

軍道路の築造、補修にあたったのは米陸軍沖縄地区工兵隊(District Engineer)で、略称で「DEディーイー」と呼ばれていました。米軍の基地建設や道路工事などの監督を行いました。

 

1970年時点で、沖縄の道路は、軍道222.6km、政府道901.7km、市町村道3057.8kmでした。

 

左ハンドルの車(沖縄仕様の日本車や外車)が多く走り、バスも左ハンドルで 乗り降りドアは右に付いていました。

 

1972年、沖縄の日本復帰

 

国は一国一交通方法という国際ルールから1975年に沖縄の交通方法を左側に変更することを決め、1978年7月30日、交通方法変更(人は右、車は左)を行いました。

 

この7月30日の道路進行方向変更は、「730 ななさんまる」と呼ばれています。

 

進行方向が変わり、交通事故などの混乱がおこりました。

また、道路に隣接する商店ではそれまで沖縄本島北部に行く側にあった釣具店や商店が、730(ナナサンマル)以降南部に行く側になってしまい、集客が減り店をたたむなど、730以降数年間沖縄中の交通と経済に影響がでました。

 

嘉手納ロータリー、糸満ロータリー、浦添 宜野湾の58号線沿い、那覇の開南交差点などの商店は730以降、客足がかわり大きな影響を受けました。また左ハンドルの車から右ハンドルの車への乗り換えのため、本土からの中古車が多く沖縄に入るようになるなど、中古車販売業が盛んになったのもこの頃です。

 

沖縄の明日に続く道は ?

 

このように、戦時中より沖縄の道は一貫して米軍のために作られました。

 

58号線を渋滞させ、真っ黒な排気ガスをまき散らして道を占領する米軍の大型車両。

 

730後も変わらない沖縄の道路事情。

 

日本復帰45年がたちましたが、

 

はたして沖縄の道は

県民のための道になったと言えるでしょうか?

 

沖縄の明日に続く道はどちらに向かうのでしょう。 

 

製作:シネマ沖縄 企画:沖縄県土木部
1977年 カラー 20分44秒

作品概要
沖縄県の道の歴史をたどりつつ、7・30の変更を記録する。7・30は、県民にとって何であったのか。アメリカ世から大和世へ。

スタッフ
プロデューサー
撮影:上地 完道
撮影:上地 完道
演出:愛川 直人