Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

72年前のきょう 1945年4月26日 「前田高地の激闘始まる」

72年前の今日、日本兵により男性2人が殺された。

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それは、東村有銘で起きた。

1人の学徒が米兵に連れられた避難民2人と遭遇した。米兵が銃を向けたため、学徒は来た道を引き返した。

そんな怖い思いをした日の夕方、学徒は避難民2人の遺体が日本兵に蹴飛ばされ、山から転がり落ちる光景を目の当たりにした。

それは、米兵に銃を向けられたことよりも、もっと衝撃的な出来事だったに違いない。

その日、斥候で山の中に入っていた米兵3人が日本兵らと撃ち合いになり、米兵2人は射殺され、残る1人は海岸沿いの小屋に入った。

そこには、10代半ばの避難民男性2人がいた。彼らを人質にした上で海岸の南へと逃げた米兵は、追ってきた日本兵らによって射殺された。

そして、米兵に連れ出されてしまった避難民2人も、日本兵の手によって殺されてしまう。

そう。米軍と内通したスパイだと疑われ、殺された可能性が高いのだ。

なぜ、日本軍は、そう短絡的だったのか。

なぜ、沖縄人をスパイ視したのか。

根底には、「理解できない言葉を喋る人びと」に対する明らかな差別があったのだ。

沖縄という島々には、当時の日本人が理解できない言葉を喋っていた人びとが住んでいた。

沖縄は日本国の一部ではなかったのだから、「日本語を喋らない人たち」がいたのは、常識的に考えても当然だ。

大日本帝国は、日本語を喋らない人たちが住むアジアの国々を軍事力で占領し、植民地にし、日本語や日本の慣習を「強要」した。

そのアジアの国々で何百年、何千年と続いた言語や慣習が、たかが数十年間の「強制的な変化」で、変わるわけがない。

そう、大日本帝国は、どこまでも「非常識で現実離れした人びと」からなる国だった。

だが、それは遠い過去の話ではない。そういう気質は、今もある。

沖縄の人に対し「土人」という言葉を吐き捨てる警察官。

その発言を擁護し、正当化した大阪府知事、現職大臣、与党国会議員ネトウヨ地方市議および首長、ネトウヨ学者、そして一部のマスコミがいる。そして、それらすべてに寄り添う一定数の日本国民がいる。

昨夜、「東北の人たちに対する不適切な発言」をし、今朝、大臣を辞任した人がいるが、

東北の人たちを深く傷つけるような、差別的な発言をした前大臣を擁護し、正当化する人は、日本のどこかにいるだろうか。

日本の総理大臣は、自分が任命した前大臣による不適切な発言に関し陳謝した。

それを目の当たりにした昨日は、その総理大臣が辺野古新基地建設の護岸工事に強行着手した日でもある。

72年前に沖縄であった惨劇の数々は、決して過去の話ではない。

惨劇を招く原因、気質、慣習は、

今も一部の日本国民の中で、日本国政府の中で、脈々と受け継がれている。

日本に、民主的な制度が導入されて70年以上が経過してもなお、

古い体質や慣習、差別的な「言葉」は生き続けている。

沖縄を含むアジアの人びとに対し、容赦無く「日本式」を強要した日本。

慣習や言葉は、良くも悪くも「強制的」には変えられないし、変わらない。

それは、日本人が自ら証明している。

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