72年前のきょう 1945年4月22日 「伊江島の集団自決」
2017年4月22日
青い海に囲まれた島に、真っ白に咲くテッポウユリ。
この祭りは、島おこしや観光イベントの一環として始まったと思うが、
咲きほこる幾種ものユリの花は、この時期に伊江島で戦死した人々の魂を慰めるために咲いているようにも見える。
72年前の今日、また、その前後に、伊江島では集団自決をした人びとがいた。
72年前の昨日、伊江島にいた日本軍の組織的抵抗が終わり、 米軍が島の占領を宣言しているが、戦死した住民の数はおよそ1500人。
当時の伊江島の住人の、2人に1人が亡くなったとも言われている。
そして72年前の今日からは、海岸付近の洞窟などに隠れている敗残兵を掃討するために、 米兵が島のあちこちにいた。
その後、米軍は生存者らを慶良間へと送り、そこで伊江島の住民らを収容する間に、着々と基地建設を行なっている。
この沖縄戦シリーズを投稿し始めてから、今日で約1カ月が経過した。
毎日、毎日、沖縄戦に関する資料に目を通し、戦争がもたらす「人間の死」と向き合って気づくことがある。
それは、沖縄では、昨日も、今日も、明日も、毎日「慰霊祭」が開催されてもおかしくないほど、大勢の人たちが一度に亡くなっているということ。
72年前、毎日、毎日、大勢の人びとが
集団自決で、戦闘で、爆撃で亡くなっている。
祭りは平和の象徴と言われるが、ゆり祭りが開催されている伊江島には、未だ米軍基地がある。
伊江島で戦死した人びとの魂が安らかに眠れる日は、いつ訪れるのだろうか。
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