2017年4月4日
■ 72年前のきょう 1945年4月4日 「沖縄攻略のためのインフラ整備」■
米軍は、戦後に基地を建設し始めたのではない。
沖縄に上陸すると、すぐに開始した。
基地といっても、今のようにフェンスで囲まれた「リトル・アメリカ」ではなかった。
上陸地点とその周辺一帯に必要な物資や兵器、重機などを陸揚げ、保管したり、攻撃の足場とする「橋頭堡」というものだ。
基地と橋頭堡は違うと指摘されるかもしれない。
だが、米軍は、沖縄攻略のためにインフラ整備を進め、その産物の多くは、戦後も米軍に利用され、そのままフェンスで囲まれて「基地」の中に入ったものもある。
よく、アメリカ人が口にすることの1つに、
「米国は莫大なお金をつぎ込んで、何もなかった沖縄にインフラ整備をした」というものがある。
その代表的なものが「ハイウェイ1(1号線)」とよばれた現在の国道58号線や嘉手納基地の北西端にある嘉手納ロータリーだ。
だがそれらは、沖縄の住民の生活を向上させるためにやったインフラ整備ではない。
米軍の作戦で必要だったからやったインフラ整備だ。
戦車が通るためには、頑丈な舗装道路が必要だ。
必要な物資を効率的に陸揚げするには、桟橋が必要だ。
そのために、工兵隊が周辺の道路整備し、車輌が往来できるような橋を架けたりした。
戦争中にやった。それも、上陸初日から。
72年前の今日までに、米軍は既に色々な設備を整えていた。
日本軍が、米軍上陸の対応で意見が割れ、作戦変更したりして、バタバタしていた時に…である。
戦争は、戦闘部隊だけがやるのではない。工兵部隊、兵站部隊の下支えが必須なのだ。
米海兵隊の普天間基地移設問題が議論されるたびに、「パッケージ」という言葉が出る。
米海兵隊は、沖縄に大規模な兵站部隊を置いている。彼らがいない地域では、航空部隊はもちろんのこと、歩兵部隊や砲兵部隊が成り立たないという。
ならば沖縄県は、普天間基地の閉鎖、県外、国外移転を訴えるとき、米海兵隊の「兵站部隊の移転」も「パッケージ」で訴えるべきだ。
72年前の今日を知ると、そう思う。
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