Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

在沖米軍駐留の受け入れに感謝? それぞれの認識の違い

トランプ政権下の米国務省から駐日大使として派遣されたハガティ大使。

13日の夕方、翁長知事を表敬訪問した。

そこで、なんと!沖縄県民に対し『在沖米軍駐留の受け入れに感謝した』というのだ。

 

琉球新報翁長知事「新基地は差別」 米大使に訴え「米は当事者」
2017年11月14日 06:30

 沖縄県の翁長雄志知事は13日、来県したハガティ駐日米大使と県庁で会談した。ハガティ氏の来県は2度目で知事との会談は初めて。翁長知事は、米軍基地が集中する沖縄に普天間飛行場移設に伴う新基地が造られることについて「差別だ」と述べ、それに対する大使の見解を問うた。これに対しハガティ氏は「知事の懸念は理解する」とした上で、名護市辺野古の新基地には直接言及しない形で日米合意の負担軽減策を前進させる考えを強調した。

 

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新基地建設反対を訴える沖縄県の翁長雄志知事(右)とハガティ駐日米大使=13日、県庁

 

 翁長知事は会談の大半部分を、沖縄戦やそれから続く米軍基地問題の指摘に当て、それに対する大使の見解を問うという形で進めた。翁長知事は、訪米で辺野古新基地建設問題を訴えても日本の国内問題とされてきたことを挙げ「県民からすると当事者はまさしく米政府、米軍だ。おじい、おばあを引っこ抜いて工事するのは世界中に発信される。日米の民主主義が問われているのが今の新辺野古基地だと理解いただきたい」と強く迫った。

 ハガティ大使は在沖米軍駐留の受け入れに感謝した上で「日本だけでなく、東南アジア全体の安心安全をサポートしてくれている。知事と日本政府と連携して県民の負担緩和のコミットメント(約束)がある」と答えた。さらに「(米軍駐留による)影響の緩和策に努力することで合意した」と述べ、引き続き負担軽減に日米沖で協力して取り組む姿勢を強調した。

 知事の説明には「有用な情報」として米政府内で共有する意向を示した。高江米軍ヘリ炎上事件の話題には安全性が「最優先課題」と強調した。

 ハガティ氏は14日は在沖米軍基地を訪ね、軍幹部らと意見交換する。 

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沖縄県民は、いつ『在沖米軍駐留の受け入れ』をしたのだろうか。

米軍が沖縄に来たのは72年前。

その後、こちらが『出ていってくれ』と言っても聞かぬふりをして居座り続けているのが米軍だ。

沖縄が「米軍駐留を受け入れた」ことはない

ハガティ大使の発言は、単に本人の認識不足なのだろうか。

トランプ政権下には東アジアに精通した人物がいないと報じられているが、ハガティ大使の周りにも、沖縄が歩んだ歴史について事前レク(ブリーフィング)する担当者さえいなかった、という事になる。

 

それとも、米国側の認識は、沖縄は「米軍駐留を受け入れた」ということか?

もし、後者だとしたら、『沖縄は、日米同盟を固持し、日米安保体制を築いていた「日本国」への「祖国復帰」を願った。従って、米軍の駐留を受け入れた』というのが、米国側認識なのだろう。

そう考えると、色々と辻褄があうのだが、今日は、そのひとつについて考えてみたい。

 

普天間基地の移設問題に関し、米国側が一貫して述べるのは『これは、日本国内の問題だ』という決まり文句がある。

在日米軍という外国軍の基地問題が、どうして『日本国内の問題』になり得るのか。

沖縄からすると、『日本国内の問題』にはなり得ない。

だから知事は『県民からすると当事者はまさしく米政府、米軍だ』と大使に伝えている。

だが、なぜ米国は『日本国内の問題』だと言い続けるのか。その決まり文句の意味について考えてみよう。

 

日本国民の大半が日米同盟を重視し、日米安全保障体制を支持しているが、沖縄県民としては、ならば全国で負担してくれ!と思うし、そう主張してきた。

しかし、それには大半の日本国民が聞かぬふりをするか、『本土にも米軍基地はあります』と主張し始める

沖縄県民としては、沖縄だけに多くを押し付けるのは差別だ!と思うのであるが、日本国民の大半は、そう考えない。

なぜ、こうも認識が違うのか。なぜ、ずっと平行線なのか。

その答えのヒントが、米国側の決まり文句、『日本国内の問題』にある。

 

戦後、沖縄と本土は別々の歴史を歩んだ。それが27年間も続いたのだから、認識のギャップや考え方の違いは大きい。

しかも、明治政府が琉球王国を併合するまでは全く別々の国であったわけだから、簡単に融合できるわけがないのだ。

そう認識すれば、沖縄と本土で意見や見識が異なるのは当然だ!と思えるようになるのだが、まず今は「在日米軍」をどう考えるか、だ。

 

そもそも、復帰前に沖縄に駐留していた米軍は、「在日米軍」だったのだろうか

米軍統治下の沖縄は「日本国ではなかった」わけだから、その当時、沖縄にいた米軍は「在日米軍」であるはずがない。

日本本土の国民は、沖縄が日本に復帰したことで『在日米軍が倍増した』と考えているのではなかろうか。

沖縄が日本に復帰するのは構わないが、そこにある米軍基地はいらない』と考えたとしたら?

沖縄県民が、沖縄県知事が、『全国で負担してくれ』とお願いしたところで、聞く耳持たないのは自然なリアクション(この場合、ノンリアクションか)であろう。

 

『本土にも米軍基地はあります』と主張する人達が認識する「在日米軍」とは、沖縄が日本国の一部になる前から本土に駐留してきた「在日米軍」であり、それらを日本国民の大半が受け入れている、支持しているということだ、と考えてみよう。

そうすると、沖縄県民が『全国で負担してくれ』とお願いする「在日米軍」は、「沖縄が本土復帰した際に在日米軍になった米軍」ということになり、沖縄の主張は「もともと沖縄にあった米軍基地を日本本土に押し付けようとしている」と、受け止められたことになる。

だから、ノンリアクションなのだろう。

 

戦後から日本本土が負担している「在日米軍」の駐留は構わないが、沖縄から押し付けられる「在日米軍」はいらない、沖縄に負担し続けてもらいたい、そういう思いが根底にあるのではなかろうか。

沖縄にとって『祖国復帰』とは何だったのか

日本本土の人びとにとって、『沖縄返還』とは何だったのか

双方が、きちんと精査しなければ、いつまでも認識は異なるし、平行線のままだ。

だから、米軍基地問題は『日本国内の問題』なのかもしれない。