72年前の4月末、沖縄本島で地上戦を展開していた米軍兵は、疲れきっていた。
日本軍の抵抗は、米軍の想像以上だったようだ。
しかし、日本軍も疲れていたし、なによりも多くの死傷者を出していた。
日本軍が南風原(はえばる)に置いた陸軍病院壕では、軍医や従軍看護士、学徒らが次から次に運ばれてくる負傷兵の対応に追われていた。
日本軍には、米軍の兵士らのように交替するだけの兵員はいない。
後方に配置していた部隊を前方へと配置したのは、交替のためではなく兵士が「いない」からだった。
米軍と比較して、物量だけでなく人員も足りない日本軍。
米軍は沖合に病院船を停泊させて負傷兵らを治療した。
その後、民間人収容所付近にテントの野戦病院を設置するが、
日本軍は、学徒らが必死で掘った壕の中で、不衛生な環境下での応急処置、麻酔なしでの手術をしていた。
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