Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

返還跡地の読谷マンゴー 読谷マンゴーに幸あれ !!!

 

 

 

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ティーダ (太陽) をいっぱいあびた読谷マンゴーの初出荷。

 

www.okinawatimes.co.jp

 

本土の人たちに伝えたいのは、

むしろこんなニュースだ。

 

つまり「基地に依存する気の毒な沖縄」のステレオタイプを助長する報道ではなく 、手のひらの赤く実った読谷マンゴー。 

 

 

この読谷の地は、73年間の長きにわたって日本軍と米軍に接収されていた土地なのです。

 

1943年、旧日本軍が沖縄県読谷村の中心部の土地を接収して北飛行場を建設した。

 

その日本軍の拠点を狙ってのことだ。1945年4月1日、まさに米軍の本島上陸はここ読谷から始まった。日本軍は丘の上から米軍無血上陸を眺めていただけでした。

 

 

そして読谷はその住民を巻き込んでの凄まじい戦闘に巻き込まれていく。

 

戦後は米軍によって強制収容され、「米軍読谷補助飛行場」として、パラシュート降下訓練が繰り返し実施された。落下事故が相次ぎ、1950年には民家に燃料タンクが落下し、3歳の女児の命が奪われた。

 

 

県と読谷村は日米両政府に対して再三にわたって訓練中止を要求し、やっとのことで日米両政府が返還に合意したのが1996年。そして2006年に全面返還されたのです。

 

本土の人に知ってほしい。沖縄が、その本来の姿をとりもどすため、どれほど長い闘いを歩んできたかを。

 

米軍基地から開放地になり、不発弾撤去して、投棄された汚染物質も除去して、上下水道を引いて、それから地主たちが協議して区画整備し、農地とする。イチから始めるマンゴー栽培。返還から、まさに10年越しの出荷の日をむかえた読谷マンゴー。

 

73年の長きにわたって基地によって奪われてきた土地を、再び実りの土地に変えるための、これが読谷の最初の実りです !!!

 

読谷マンゴーに幸あれ !!!

 

で、不安クラブからの蛇足ですが。

出荷の規格から外れた、握りこぶしより小さなベイビーマンゴー。こちらのほうが種が小さくて食べやすい気がするのですけどね。おいしさは変わりなく。もう、ほんとおいしいですよ。

 

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