72年前のきょう 1945年5月21日 「雨と泥との闘い」

昨日、シュガーローフで慰霊祭が行われた。

 

その時、目の前の那覇市おもろまちには、多くの買い物客や観光客がいたはずだが、

この慰霊祭に参加した方々は、7人。

 

米軍側からの参加者は、いたのだろうか。

 

72年前、この辺り一帯は、腕や足、上半身、頭などがゴロゴロ転がっていた。

 

ネットや沖縄社会でシュガーローフは、

「心霊スポット」だとか、「霊感の強い人は幽霊を見るから近寄らない」とか、

『沖縄の怖い話』という形で語られる。

現代の人たちは、戦争の醜さから目をそらし、そこで亡くなった人たちに思いを馳せることさえしない。不敬としか言いようがないし、それこそ、『お花畑』である。

 

こうして、7人の方々が参加したシュガーローフの慰霊祭だが、

そこで亡くなった日米双方の兵士の魂は、さぞ慰められたことだろう。

慰霊祭に参加できなくても、彼らに思いを馳せることで、

亡くなった兵士たちの魂が我々に伝えたいメッセージを聞き取ることができると思う。

 

琉球新報

那覇の激戦地“シュガーローフ”で慰霊祭 「歴史伝えないと」
2017年5月21日 14:00

那覇の激戦地“シュガーローフ”で慰霊祭 「歴史伝えないと」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

 

 沖縄戦の激戦地「シュガーローフ」で亡くなった人たちの慰霊祭=写真=が20日、那覇市おもろまちの水道タンク前で行われ、7人が犠牲者に思いをはせた。

 真和志村安里(現・那覇市)のシュガーローフ(五二高地)では1945年5月12日から1週間、日米両軍が激しい戦闘を繰り広げた。主催した具志堅青鳥さん(77)=那覇市=によると米軍だけで2千600人余りの死傷者が出て、日本側は分からないという。

 8回目となった慰霊祭では、黙とうの後、「月桃」や「喜瀬武原」を歌って犠牲者を悼んだ。

 具志堅さんは「この歴史を伝えないと犠牲者に申し訳ない」と述べた。初めて参加した海勢頭愛さん(41)=同=も「想像を絶する状況だったと思う。体験がない私たちこそ、戦争を知らないといけない」と話した。

 

 

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