世界のウチナーンチュ

2016年11月14日

イデオロギーよりアイデンティティ

これは、翁長知事が沖縄県民に語りかけた言葉である。

しかし、

祖先が沖縄でも、自身が沖縄で生まれ育ったとしても、ウチナーンチュのチムグクルを持ち合わせない人々もいる。

それは、それでいいと思う。その人の「心の故郷」は、沖縄ではないというだけのこと。

たとえ祖先が沖縄出身でなくても、たとえ自身が沖縄で生まれたわけではなくても、「ウチナーンチュのチムグクル」を持つ「ウチナーンチュ」は、世界のどこにいてもウチナーンチュだと思う。

:::::: 以下、リンク先より一部抜粋 ::::::

『身を寄せ合う力

 人々が海を渡った背景には、貧困からの脱出を新天地に託す思いのほか、琉球処分のあと沖縄でも始まった徴兵制度への忌避感もあったという。

 世界のウチナーンチュ大会は1990年、そんな各国移民の末裔と、故郷沖縄とを結びつける事業として始まり、初回に約2400人だった参加者は、約四半世紀を経て約3倍にも膨らんだ。

 海外日系人とその父祖の地がこれほど深く結ばれた県は、他に例がない。大会期間中、タクシー運転手や飲食店主らは一様に「移民の皆さんは、どれほど苦労されたことか」「ふるさとを楽しんでいってほしい」と、帰ってきた“同胞”を思いやる言葉を口にした。

 かつて南米に居住して日系社会を取材した筆者は、沖縄県人会の比類なき結束をどの国でも痛感した。バブル期に“デカセギ”として来日し、「日本人は冷たい」と幻滅を味わった日系人も多い中、沖縄県系人と母県との関係は特別なものだった。

 ハワイから参加した3世で、ハワイ大学沖縄研究センターの知念ジョイス所長は、大正~昭和初期、「ソテツ地獄」と呼ばれた毒性のある植物すら食用にした飢餓時代の移民や、戦後、米軍に土地を奪われて移住した人々を念頭に、その結束力をこう説明する。

「沖縄の場合、やむにやまれずに故郷を後にした『ディアスポラ』(離散した民)と呼ぶべき人々が本土移民より多く、移住した先の日本人社会でも差別に苦しんだことが、身を寄せ合う力になったと思われます」』

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