沖縄取材でチビチリガマ破壊現場に遭遇 - パレスチナと共に生きるイスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスさんの講演会スケジュール
先日、9月12日、
読谷村の知花さんが、沖縄を取材中のイスラエル人ジャーナリストを地元のちいさなガマに案内した。
青い空の下でざわわと鳴るサトウキビ畑を通りすぎ、
目に染みるほどの濃い緑の地所におりたち、
小さなガマの入り口に立った時、
その時のことだ。
あの、目を疑う卑劣な現状をつきつけられたのは。
「平和」と書かれたプレートは激しく破壊され投げとばされ、祈りの手で編まれた千羽鶴はひきちぎられ、72年前をとどめる遺品は破壊され、ちいさな遺骨までもが踏み散らかされていた。
遠い中東のカナンと呼ばれた地からやってきて、
そして、この祈りの墓所が
見るも無残に破壊されているのを
目の当たりにしたとき、
この人は一体何を感じただろうか。
彼女の名は、アミラ・ハス。
両親はナチスドイツのユダヤ人虐殺ホロコーストのサバイバーである。
イスラエル人でありつつ、ガザや西岸地区に生活の拠点を持ち、パレスチナの人々と共に生きながら取材を続けていく、その一貫した彼女の姿勢で「国境なき報道者賞」など、多くの賞を受賞している。
今回の彼女の来日は、イスラエルによるパレスチナ占領50年の節目に、市民のクラウド・ファンディングで日本への招へいが実現したものだった。
〔パレスチナ占領から50年〕イスラエル人記者、アミラ・ハスさんと日本で語りたい!
2017年は、西岸・ガザ地区占領(1967年)から50年であるだけでなく、英国がユダヤ人の国家建設を約束したバルフォア宣言(1917年)から100年、国連パレスチナ分割決議(1947年)から70年、インティファーダ発生(1987年)から30年、ガザ地区封鎖(2007年)から10年という、パレスチナにとって大きな節目の年でもあります。
「パレスチナ問題は難しくてわからない」。そんなあなたにこそ参加して欲しいイベントを立ち上げました。それがアミラ・ハスさんを日本に招へいするこの企画です。
壁に分断され極度の人口密集地となっているガザ
ある本土の友人は
初めて沖縄を訪れた時、
延々と続くフェンスに阻まれ、しりごみして、
まるでパレスチナのようだと語った。
米軍の壁とフェンスで囲まれた街。
ドヤ顔で返還式典にくる米軍と政府。しかし、27年かかってやっと普天間「0.8%」返還とは、いったいどんな「返還」なのか、実際に見てほしい。 - Osprey Fuan Club
戦後72年の長きにわたり
米国の統治領だった時代から「本土復帰」してもなお、
米軍基地は沖縄を占領し、虫食いのように分断する。
それはまるで
アウシュビッツを彷彿とさせる壁に分断され
西岸地区内ですらイスラエル軍に食いちぎられていく
そんなパレスチナと似ていなくもない。
パレスチナも沖縄も
すべて私たちは根底でつながっている。
権力はいとも簡単に傲慢に
人々の面前に壁やフェンスをたてて分断し、
その生活を奪い土地を奪い
機動隊やら犬やらをけしかける。
修正主義者は歴史を否定する。
シオン主義はパレスチナ人は侵略者だといい
ネトウヨは「集団自決」はなかったという。
テロの意味も知らぬまま、
壁に抗議する者たちはテロリストだなどという。
そんな歴史否定論者たちには、
5年前の村上春樹のスピーチを引用したいのだ。
高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ
村上春樹 エルサレム賞受賞スピーチ(『壁と卵』) - 中野拓のブログ
しかも、たとえ壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていようとも、私は卵の側に立つのです。他の人は、何が正しくて何が間違っているか決めなければいけないでしょう。ひょっとすれば、時間や歴史が、決めることもあるでしょう。理由が何であれ、仮に、壁の側に立って作品を書く小説家がいるとすれば、そのような作品に如何なる価値があるでしょうか。
このメタファーの意味するところは何でしょうか。ある場合においては、それはあまりに単純で明白です。爆撃機、戦車、ロケット砲、白リン弾が、その高く堅い壁です。卵は、それによって、蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装市民です。これは、メタファーの意味の1つです。でも、これで全てというわけではありません。より深い意味もあるのです。こんなふうに考えてみてください。私たちのそれぞれが、多かれ少なかれ、1個の卵なのだと。私たちのそれぞれは、脆い殻の中に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂です。これは、私にとっても当てはまりますし、皆さん方のそれぞれにとってもあてはまります。そして、私たちそれぞれは、程度の差こそあれ、高く堅い壁に直面しているのです。壁には名前があります。「システム」です。システムは、私たちを守るべきものです。しかし、時には、それ自身が生命を帯び、私たちを殺し、私たちに他者を殺させることがあります。冷たく、効率的に、システマティックに。
私が小説を書く理由は1つだけです。それは、個人の魂の尊厳を外側に持ってきて、光を当てることです。物語の目的は、警鐘を鳴らし、システムがその網の中に私たちの魂を絡めとり、損なうことがないように、システムに光を照射し続けることです。私は、小説家の仕事とは、物語―生と死の物語、愛の物語、人をして涙させ、恐怖で震わせ、可笑しみでクツクツと笑わせるような物語―を書くことによって、それぞれの魂の唯一性を明確なものにしようと挑戦し続けることであると、心から信じています。これが、私が、毎日進み続け、来る日も来る日も真剣にフィクションを生み出している理由なのです。
いま、
沖縄やパレスチナでおこっていることは
日本のどこでもおこりうること、
世界のどこでもおこりうることであり、
そして実際におこってる。
ぜひアミラ・ハスさんの講演会にでかけてほしい。
私たちの目の前にある、
この高く堅い壁を勇気をもって直視するために。