72年前のきょう 1945年5月13日 「村全体を破壊する命令」
『米軍は、日本本土も空爆した』
『東京大空襲もあった』
『広島、長崎には原爆が投下された』
『…だから、沖縄だけが犠牲になったわけじゃない』
沖縄県民が沖縄戦を語るとき、上のような反論が投げつけられる。
『いつまで犠牲者ぶるのか』とまで言われることもある。
空爆は沖縄でもあった。
本土では、地上戦はあったのか?
戦車が町を、畑を走り回り、火を噴く状態があったのか?
広島や長崎に投下された原爆と東京大空襲を比較して、
広島県民や長崎県民に対し『いつまで犠牲者ぶるのか』と非情な言葉を投げつける日本人はいるのだろうか。
沖縄戦は、イラクやアフガニスタンのように砂漠での地上戦ではない。
ベトナム戦争のように、ジャングルでの地上戦ではない。
沖縄戦は、シリアのような都市部での地上戦だった。
人が多く住む場所で、毎日、毎日、戦闘があったのだ。
日本軍は、民間人が住む場所に陣地を構築した。
それだから米軍は、無差別的に攻撃した。ピンポイントでの攻撃などできなかった。
だから、村全体を破壊する命令を下した。
これが、『軍官民共生共死』の恐ろしさだ。
これが、沖縄戦だ。
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