72年前のきょう 1945年5月11日 「警察別動隊の沖縄脱出」
昨日、第32軍の神(じん)航空参謀による「沖縄脱出」のエピソードを紹介した。
今日と明日にかけては、沖縄県警察で極秘に編成された「警察特別行動隊」の「沖縄脱出」エピソードを紹介したい。
神航空参謀の目的は、大本営に「沖縄での一大航空攻撃」を具申することだった。
警察別動隊が課されたのは、内務省に「沖縄県民の現状を伝える」というもので、
『沖縄戦が始まってから今日まで、県民は砲弾の飛び交う中で時給自足のための食糧の増産に励み、日本軍の後方作戦にも協力し、我が国の勝ちを信じて献身的に働いて来た。この県民の姿を内務省に報告しておかなければならない』とのことだった。
警察別動隊には8名が選ばれ、苦労した挙句に東京へたどり着いたのは、ただ1人。それも、玉音放送から2ヶ月後の10月だったそうだ。
残りの7名は、途中、米兵との撃ちあいになり殉職、あるいは、捕虜となっていた。
命がけで東京まで行き、沖縄県民の「姿」を伝えたのに、沖縄はその後27年間、米軍の占領下に置かれる。
45年前、日本国に「復帰」したはずなのに、沖縄は米軍の占領下であり続けている。
命がけで『沖縄の現状』を伝えても、沖縄の声は届かない。
それは、72年前から全く変わらない。
沖縄県民は、どれだけ日本のために「協力」し、「献身的」にならねばいけないのか。
親、祖父母、妻、夫、子ども、兄弟姉妹、友人、同級生、親戚の誰かを戦争で亡くし、
家、道路、鉄道、畑、森林、城、墓などが破壊されたのに、
一家が全員死んだ、全滅した世帯もあったのに、
沖縄の声を「聞いたふり」だけは上手な日本国のために、
これからも、未来永劫、沖縄県民は「協力」し、「献身的」でなくてはいけないのか。
あまりにも、ばかばかしい。
ばかばかしすぎる。
その、ばかばかしさに、沖縄県民は早く気づくべきでる。
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