72年前のきょう 1945年4月20日 「後方で進む基地建設」

2017年4月20日

よく、沖縄の米軍基地は『県民が収容所に入れられている時に造られた』と表現されることがある。

沖縄県民の一部の人たちにとっては、確かにそうだ。

しかし、米軍は、兵士らが前線で戦っている最中、後方で基地を造っていた。

そう、沖縄県民が壕の中で隠れていたり、やんばるの森の中に避難していたり、戦場をさまよい歩いている時に、また、日本兵と共に戦っている時に、沖縄の米軍基地は造られている。

日本軍は、沖縄県民を動員して造った飛行場を、米軍に奪われて本土への攻撃に使用されてしまわないようにと、滑走路を破壊した。

だが、米軍はそれをすぐに修復、整備し、航空機を配備した。

そして、72年前の昨日、首里や与那原一帯が再度、焦土と化したが、その空襲で投入された米軍機の一部は、嘉手納基地から飛んだのだ。

沖縄県民は、自ら建設に参加し造った滑走路から飛び立った航空機で空襲された。

前線で死闘が続く中、米軍は、さらなる基地建設のために、南西諸島の島々を偵察している。

そして、それらの島は戦略的に不要だと考え、伊江島沖縄本島内の基地建設を加速させた。

沖縄にある米軍基地は、米軍上陸と同時に始まった。

このとき、ほとんどの県民は収容所にはいない。

県民は、戦場にいた。

 

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