2017年4月15日
『だぶだぶの軍服に、ひと回りも大きな軍帽をあごひもで締め、歩くたびにパカパカ音のするばかでかい文教の軍靴をはき、腰には手榴弾をぶら下げ、弾薬箱や米俵を背負った、年のころ14、5歳の少年学徒兵の姿を、わたくしたちは沖縄のあちこちで見かけた。いまもあのいたいけな姿がまぶたに浮かんでくる。鉄火の渦巻く凄惨な戦場を、兵士たちといっしょに走り回っていた一つ星の少年兵には、死の恐怖はみじんもなかった。歓声をあげて黒砂糖や、乾パンを奪いあっている無邪気な姿を見て、わたくしは、じーんと熱いものが胸にこみ上げるのを押さえることができなかった。
彼らはひたすら祖国日本の勝利を信じ、靖国の神社に祭られることを無上の誇りとしていた。敵の砲火にさらされながら、敢然と肉薄攻撃、挺身斬り込みを繰り返し、ついに学徒兵(鉄血勤皇隊、通信隊)1685人のうち732人が、あたら若い命を散らしたのである。ことに学徒通信隊は、伝令や電話線の架設、補修のため、常に砲爆撃下にさらされたためか、その犠牲者はあまりにも多く、526人のうち337人が戦死している。その壮烈な祖国防衛の戦いは、世界の戦史にも類例のないことである。』(75-76頁)
《「秘録 沖縄戦記」(山川泰邦著/読売新聞社) 75-76頁より》