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ブルーシールに見る、アメリカンテイストの幻想

2017年3月4日

ブルーシールに見る、アメリカンテイストの幻想■

米軍統治下で、米軍の牛乳供給工場として始まったブルーシール

そもそもはアメリカの会社だった。

明るく陽気で文化的なアメリカを気楽に感じられる、アメリカンテイスト?!
アメリカ統治下時代、いわゆる古き良きアメリカのイメージ。

アメリカに破壊された沖縄。
アメリカが復興させた沖縄。
焼き払ったあと、米軍はアメリカ文化を持ち込んだんだ。

戦後占領軍にアメリカ文化を刷り込まれた日本。

でも直ぐに アメリカ文化を踏み台にして
高度経済成長で繁栄し文化経済をめまぐるしく発展させた日本本土。占領軍は本土からすぐに去ったから。沖縄に米軍を押し込めたから、高度経済成長が成り立ったのでは?

長く米軍統治下にあった頃沖縄では、ずっと長く米軍が発するアメリカ文化が輝いて見えたんだ。ブルーシール、A&W、ワールプール、ダウニーの匂い。

なぜなら、戦後の日本を知らなかった。
米軍統治下の頃、いくらテレビで本土の情報を見ても、記憶の中の日本は戦前の日本。
戦後の高度経済成長した日本は遠かった。

米軍が発するアメリカ文化は高級そうで美味しそうで綺麗で丈夫で眩しかった。

そしてまだ沖縄には、その「アメリカンテイスト」が忘れられない人も少なからずいる。沖縄を焼き払った米軍の残虐な過去は見ぬふりをして。

レーションで生き延びたウチナー。
美味しかったんだね。飲まず食わずの時差し出された軍事物資。ありがたい記憶だけが残る。米軍統治下のアメリカ文化の華やかな魅力。

でもそれは過去の記憶なんだよ。
米軍統治下の刷り込み。

「アメリカむんは優れている、アメリカ素晴らしい」という、米軍統治下のノスタルジーにも似たイメージを保ち続けている。そんなアイスクリームのテイスト。

米軍基地に憧れるのも、同じ事。

ブルーシールアイスクリーム
大好きです。チョコミルクも好きです。
初デートはビックディップのミントチョコとマンゴタンゴ。

でも知ってました?

ブルーシール、とうの昔に内地企業に売却されてました。
経営難だったのです。
ウチナー経営陣は頑張ったけど、上手くいかなかった。

沖縄のアメリカンテイストをうまく使う内地企業になったわけです。

米軍統治下のノスタルジーって何なんでしょう。
アイスクリームたべながら考えてみてね。
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ブルーシールのはじまり。それはうるま市の米軍施設の中

1948年、アメリカに本社を置くフォーモスト社は、沖縄に駐留する米軍関係者の生活に欠かせない乳製品を供給するために、具志川市天願(現うるま市)の米軍基地内に設立されました。これがブルーシールの歴史のはじまりです。当時の商品は、基地内でしか手に入らない貴重なもので、沖縄の方々には、なかなか目にする機会も少ないものばかりでした。

“沖縄のアイスクリーム”としての第一歩

沖縄の皆様のより身近な存在を目指して

1963年に米軍基地から浦添市牧港(現本店)へと拠点を移し、沖縄のアイスクリームとしての歴史を歩みはじめます。当時はかなり高価な食べ物であったにもかかわらず、多くのお客様がお店に足を運び、アイスを楽しんでいただいていました。

1976年、米国で優れた品質の酪農品に贈られる“ブルーリボン賞”の称号である“ブルーシール”にあやかり、社名をフォーモスト社から「フォーモストブルーシール」と改めてからは、より広く深く、沖縄の皆様の生活に浸透していきました。(ちなみに、当社の母体であった米国フォーモスト社の社名も、ブルーリボン賞を受賞した最高品質の乳牛「フォーモスト号」に由来)。今ではすっかり<ブルーシール>の愛称で親しまれ、沖縄のアイスクリームとして、多くの方に愛され、支えられています。

www.blueseal.co.jp

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2008年 ビジネスモール浦添より

沖縄を代表するハッピーフレーバー
創業60年のブルーシールアイスクリーム

 ブルーシールといえば、アメリカ生まれ沖縄育ちのアイスクリーム。沖縄生まれ沖縄育ち、生粋のウチナーンチュに愛される郷土の味。ウチナーンチュの思い出エピソードにも数多く重なる、たくさんの思いに抱かれたハッピーアイスクリーム。そして今や、日本各地にファンも多い、沖縄を代表するオキナワンフレーバー。

 フォーモスト ブルーシール(株)は、沖縄を代表する会社であること、さらに深くいえば沖縄を胸を張ってアピールできる企業であることを、沖縄全県民が戦後の復興、アメリカ世、本土復帰と、共に沖縄の紆余曲折を一緒に立ち会ってくれた大切な企業として認識しているブランドともいえます。

 沖縄の戦後復興は大動脈であった1号線沿い(国道58号線)を中心に浦添から発展して行きました。ブルーシールは1948年、終戦から3年後にアメリカ合衆国との契約のもと創業。そのアメリカ世を象徴するように浦添の城間から牧港を中心に宜野湾にかけて『マチナト・コマーシャルエリア』という外国商社資本の商業地域がありました。

1948年アメリカ合衆国との契約のもと
現在のうるま市具志川で創業

アメリカに生まれ、沖縄に育った
オキナワテイストのフレーバーがブルーシールです

 ブルーシールは、1963年よりそのエリアの中心に本拠を構え、マチナト・コマーシャルエリアのシンボル的な存在として人々より愛されていったのです。その後、株式譲渡など、いくつかの変遷を重ね、1996年(株)ポッカコーポレーションの傘下に入ります。今でも県民の心にアメリカ世と現在を結ぶことの出来る貴重なオキナワン・カンパニーとして愛され続けています。現在は、カフェスタイルパーラーやアメリカンスタイルレストラン、東京福生・渋谷・多摩、神奈川鎌倉にフランチャイズをオープンするなど、そのブルーシールブランドは全国区に広がりを見せ始めてもいます。

 「こんなに地域に愛されてきたこの会社を潰してはいけない」それが覚悟のひとつだったとおしえてくれた、苅谷社長。苅谷社長の配属は、名古屋に本社があるポッカコーポレーションに由縁します。通常約3年任期のところを、沖縄に転籍という沖縄永住を覚悟する思い切った形での社長就任の道を選びました。

yuinomachi.jp

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ブルーシールとは
概要 Wikipedia

1948年に現在の沖縄県うるま市にて創業した。当時は、県内の米軍基地で働く従業員向けへの販売のみだったが、1963年に基地外に直営のパーラー「ブルーシールBigDip牧港店」を設置したことから、基地外への販売も開始されるようになった。同時に、浦添市に経営会社としてフォーモスト ブルーシール株式会社が設立された。
高温多湿の気候に合わせたさっぱりした味が受け、観光客からの人気も高い。
製造は子会社のエムアンドビーが行っているが、パフェなど一部製品は製造許可の関係上、岐阜県のメーカーに委託している。

旗艦店の牧港店には両替所を併設している。

直営レストラン「On Dish」も併設運営していたが、2015年12月31日をもって閉店した。
これは社会貢献活動の一環として、2016年9月20日に手作りアイス体験型見学施設「ブルーシール アイスパーク」をオープンした為としている。

社名の由来は、当社の母体であった米国フォーモスト社の社名であり、ブルーリボン賞を受賞した最高品質の乳牛「フォーモスト号」と、1976年当時の米国で優れた品質の酪農品に贈られる“ブルーリボン賞”の称号である“ブルーシール”にあやかって、現在の社名となった。

サッポログループに属しているが、2012年12月末まではポッカコーポレーション(後にサッポロ飲料との合併を経て、現在のポッカサッポロフード&ビバレッジ)の関連会社だった。
厳密に言えば、サッポロホールディングス傘下のポッカサッポロフード&ビバレッジ(ポッカサッポロ)の子会社という方が適当である。

沖縄県外への出店

わしたショップ(アンテナショップ)や百貨店などで開催される沖縄物産展での販売は従来から行われてきたが、2006年頃から沖縄県外にも本格的に出店するようになった。例えば、イオンモール鹿児島などのイオンショッピングセンター内に出店したり、お好み焼きチェーン店「道とん堀」との提携で東京都福生市にも出店している。(なお、全国の道とん堀ではデザートにブルーシールのアイスクリームを採用している)

1985年宮崎花ヶ島にアイスクリームパーラー本土第1号店開店。
2009年11月13日、大阪関西国際空港内、旅客ターミナルビル2階に関西で初となる出店を果たした。
2010年12月、高速道路パーキングエリア初出店となる大黒PA首都高速道路湾岸線)へ出店。
2011年7月、東京羽田空港内にFC「ブルーシール羽田空港店」開店。
2016年3月27日 関西国際空港店 閉店[9]
2016年5月8日 岡山駅地下店 閉店[10]
2016年11月5日 恵比寿ガーデンプレイス店 開店[11]
その他、直営店やフランチャイズ店を含めブルーシール取扱店多数。

ブルーシールアイスクリーム - Wikipedia

buzip.net

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