Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

戦争の記憶と、人々の「無知」「無意識」

沖縄ヘイトとデマは近年ますます強まっているように感じる。

沖縄戦・・・。

知らないのか、知ろうとしないのか、知りたくないのか。おそらくはそのすべてなのだろう。

「1977年から2009年にかけて総務省が作成した『全国戦災史実調査報告書』で本土では行われた戦時の被害調査が、なぜか沖縄だけ行われていない」。

そうした無知と無関心につけこんで、都合よく偏見とヘイトとが醸造される。

たとえばニュース女子がそれだ。もし声をあげなければ、沖縄ヘイトがあたかも常識のように、無条件で人々の心の中に刻印づけられてしまうのだ。

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1. 沖縄戦を「ホロコースト」と位置づけた欧州トラウマ学会

2. 沖縄でのみ実施されていない総務省『全国戦災史実調査報告書』

3. 戦後、沖縄の精神疾患発症率は本土の2倍以上だった――なぜ「トラウマ」は問題視されてこなかったのか

4. 基地の存在がトラウマを増幅させる。それは常に「ライブな記憶」

5. 辺野古移設で耐用年数200年のアジア最大の軍事要塞が完成。沖縄の負担軽減どころか負担の恒久化

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iwj.co.jp
「沖縄を侮辱する「無知」を許してはならない!「ニュース女子」出演者らが知ろうともしない沖縄の歴史!
蟻塚亮二著『沖縄戦と心の傷~トラウマ診療の現場から』(第13弾)
2017.2.24
(文:福田玲子、記事構成:原佑介、岩上安身)

 

「無知」と「無理解」から生まれる沖縄への差別やデマ。その典型例がTOKYO MXで放送された報道バラエティ番組「ニュース女子」だ。

 県民の4人に1人が死んだ沖縄戦を知らずして、沖縄は語れない。IWJはそうした視点から、「ニュース女子」検証記事第12弾で蟻塚亮二著『沖縄戦と心の傷~トラウマ診療の現場から』(大月書店)を紹介し、いまだに深く残る沖縄戦の「傷跡」の一例を紹介した。

 

 精神科医の蟻塚亮二氏は2004年から2012年まで沖縄のメンタルクリニックで診療にあたっていた。その中で、「うつ」や「統合失調症」にみえた患者らが、実は過酷な沖縄戦のトラウマに起因する「PTSD心的外傷後ストレス障害)」を患っていたことに気づく。辛い記憶を封じ込め、普通に暮らしていたはずの人が高齢になって突然発症する「晩発性PTSD」だ。

▲降伏を促すビラを手に取る沖縄住民(ウィキペディアより)。
▲降伏を促すビラを手に取る沖縄住民(ウィキペディアより)

 2007年、超党派の議員らで作る日本会議国会議員懇談会日本会議議連)は、「沖縄戦による集団自決強制はなかった」とする決議を採択し、教科書から「集団自決強制」の一文を削除させた。こうした「歴史修正」に対し、蟻塚氏は著書で「隠ぺい作業にもかかわらず、沖縄戦を体験した人々の脳の中の記憶は風化しない」と指摘し、次のように記述している。

 「沖縄戦を体験した人たちは高齢化しているが、彼らの記憶はまだ熱く生々しいままに保たれている。それどころか、戦時のトラウマ記憶により、彼らは毎日ジェット戦闘機の轟音に怯え、事故や災害のテレビ報道などに戦慄する。夏祭りには、最後の花火大会になると、花火の音で高齢者が戦争記憶を思い出して恐怖しないように帰宅させる地域もある」

 沖縄を攻撃したのは、米軍だけではない。沖縄県のホームページにある、「教育・文化・交流」のコーナーを見てみよう。

 「日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった。その他、食糧不足から住民の食糧を強奪したり、戦闘の足手まといを理由に、死を強要した。住民は逃げ場を失い、米軍に保護収容される者もいたが、食糧不足による餓死や追い込まれた住民同士の殺害などもおこり、まさに地獄の状況であった」

 沖縄には、米軍だけでなく、日本政府に裏切られ、戦後も長きに渡って「捨て石」として犠牲を強いられた記憶が今も色濃く残っている。

 こうした深いトラウマが刻まれた沖縄に対して、「ニュース女子」はどんなアプローチをしたか。『ありがとう日本軍』『日本が戦ってくれて感謝しています』などの著書を持つ自称「ジャーナリスト」(実は武器輸入商社・双日エアロスペース社員)の井上和彦氏が沖縄でロケを行い、「基地反対派」の住民らを「テロリスト」呼ばわりし、「沖縄を返せ」などと絶叫している。

▲「ニュース女子」内で流れたVTRで「沖縄を返せ」と叫ぶ井上和彦氏(DHCシアターホームページより)
▲「ニュース女子」内で流れたVTRで「沖縄を返せ」と叫ぶ井上和彦氏(DHCシアターホームページより)

 なぜ、彼らは現実を知ろうともせず、沖縄の人々の負った傷にわざわざ塩をすりこむような真似をするのだろうか。「無知」「無理解」をさらけだして恥ずかしいとも思わない彼らは、戦争経験者の抱える深刻なPTSDに思いをはせることがない。

 現在、アフガン、イラク戦争で従軍した米兵の4人に1人がPTSDに苦しみ、自殺者が戦死者を上回るといわれている。日本も他人事ではない。安保法制が施行された今、海外派兵で新任務にあたる自衛隊員らが戦闘に巻き込まれるリスクは格段に高まった。無事帰還することができても、自衛隊員が「コンバット・ストレス」に苦しめられる可能性は小さくはない。

 今回の「後編」では、『沖縄戦と心の傷~トラウマ診療の現場から』をさらに掘り下げ、今も沖縄に残る深い傷を理解することで「ニュース女子」にみられる沖縄蔑視と決別するとともに、同じ傷を自衛隊員に負わせて本当によいものか、改めて熟考する機会としたい。

沖縄戦を「ホロコースト」と位置づけた欧州トラウマ学会

 沖縄戦では、単に米軍などの外国軍からだけではなく、同胞であったはずの日本軍から虐殺・人格破壊がなされたことは特筆すべきことである。これが沖縄の人々の傷を一段と深くしている。

 被害は沖縄全土に及び、程度の差こそあれ、これとまったく無関係でありえた人はいない。以下、蟻塚氏の『沖縄戦と心の傷』から引用する。

 「南部を米軍が制圧した後は、米軍による軍ぐるみの性暴力が横行した。2000年時のある調査によれば、60歳以上の沖縄南部在住であった女性で『自分または身近な誰かが強姦された』記憶のない人はいないという」

 「沖縄戦と心の傷」には、被害の大きかった南部の自治体別の死亡率が掲載されている。1988年の「糸満市史資料七 戦時資料下巻」からの抜粋で、まとめたのが下の図である。なお旧三ツ和村のように、住民死亡率100%の自治体もあった。

浦添市  44.6% 高嶺村 43.0%
西原市  46.9% 真壁村  44.9%
南風原町 44.4% 摩文仁村 47.7%
糸満市 36.9%    

沖縄戦体験者への聞き取りと診療を深めていった結果、蟻塚氏は、ヨーロッパのトラウマ学会で、沖縄戦を「ホロコースト」という言葉で紹介しようとした。すると「ホロコーストはヨーロッパでは特別な言葉で民族抹殺の意図があったときに使う」言葉であり、「ユダヤ人のように5年で600万人が死亡したのか」と問われたという。

 そこで蟻塚氏はこう答えた。

 「1945年2月、近衛首相はそろそろ戦争を終わりにしないかと言うと、昭和天皇は敗戦を拒否……朱里の32軍壕司令部が撤退するとき、避難民や住民であふれる沖縄本島南部に戦いながら撤退という方針をとらなければ被害がこれほど甚大になることもなかった」

 「沖縄戦は、本土上陸を遅らすための大本営の作戦であり、沖縄棄民政策であった」(出血持久作戦。捨て石作戦とも呼ばれた)。棄民政策の背景にあるのは、「琉球処分」以来の沖縄差別である。こうした点を説明すると、トラウマ学会からは、「沖縄戦ホロコーストとして位置付けてくれてかまわない」と返答があったという。

▲アウシュビッツ強制収容所の門。「働けば自由になる」と書かれた看板(ウィキペディアより)。もちろん待っていたのは「強制労働」であり、働けなくなれば「ガス室送り」だった。このホロコーストと沖縄戦での住民の犠牲は、比較されうるものとしてトラウマ学会で認められた。
アウシュビッツ強制収容所の門。「働けば自由になる」と書かれた看板(ウィキペディアより)。もちろん待っていたのは「強制労働」であり、働けなくなれば「ガス室送り」だった。このホロコースト沖縄戦での住民の犠牲は、比較されうるものとしてトラウマ学会で認められた。

 

沖縄でのみ実施されていない総務省『全国戦災史実調査報告書』

 ほとんどの日本人にとって、ホロコーストは遠い外国の出来事だったはずだ。しかし、ホロコーストはこんなにも身近にあった。

 私たちは沖縄のことについてあまりにも知らなすぎる。学校で歴史的事実を教えないのも一因だが、根はもっと深いところにある。

 沖縄県議の仲村未央氏によれば、「1977年から2009年にかけて総務省が作成した『全国戦災史実調査報告書』で本土では行われた戦時の被害調査が、なぜか沖縄だけ行われていない」。

 なぜ沖縄だけ対象外なのか? 仲村県議が国会で質疑すると、総務省は「理由は定かではない」と述べたという。戦時の被害調査がされていないということはつまり、戦争によって沖縄で何人死んだのか、その死傷者数すらも明確になっていないということだ。

 蟻塚氏によれば、沖縄では今でも、宅地造成工事などをするたびに、年に100体くらいの遺骨が掘り出されるのだという。発見するのは土建会社で、収集するのは遺骨収集のボランティア団体だ。国も行政も遺骨収集をしないので、この調子だとすべての遺骨が出てくるまでに、あと40年以上はかかるということだ。

 あまりにも無残な話である。安倍総理新藤義孝総務大臣らは、玉砕の島・硫黄島の遺骨収集にはすこぶる熱心だが、沖縄での一般住民の犠牲に対しては、積極的に「骨を拾う」という思いには至らないようである。

▲米軍の捕虜となった少年たち。沖縄では徴兵年齢を下げて14歳の少年を召集した(「鉄血勤皇隊」)。身体が小さいのを利用して、爆雷を背負ってキャタピラの間に潜り込んで、轢かれながら爆死する切り込み隊などに使われた(ウィキペディアより)。
▲米軍の捕虜となった少年たち。沖縄では徴兵年齢を下げて14歳の少年を召集した(「鉄血勤皇隊」)。身体が小さいのを利用して、爆雷を背負ってキャタピラの間に潜り込んで、轢かれながら爆死する切り込み隊などに使われた(ウィキペディアより)。

 

戦後、沖縄の精神疾患発症率は本土の2倍以上だった――なぜ「トラウマ」は問題視されてこなかったのか

 「戦争トラウマ」という視点で診療にあたりだしたのは、実は蟻塚氏が最初ではない。

 蟻塚氏によれば、「1980年代、当時、保健婦であった當山富士子氏が、沖縄戦に由来するPTSDてんかん、戦争トラウマに起因する家庭内不和など、これらが沖縄戦に関連づける調査報告を出していたが、これが追跡されることはなかった」という。

 本土復帰を控えた1960年代、日本政府の調査によれば、沖縄は精神疾患発症率がずば抜けて高かった。発症率は本土の2倍以上であり、統合失調症は本土の3倍、DV、少年非行なども本土より突出していた。

 これが、沖縄戦と基地が多いことと関係しているであろうとは言われていたが、真剣に顧みられることはなかったという。本土復帰後、日本政府が行ったことのひとつは精神病院の増設だったというが、戦時のトラウマという視点で診療されることはなかった。

 「沖縄の病院で死体の匂いがして眠れないと訴えた男性の、古いカルテをめくっていたときのことだ。彼が日の丸や君が代への嫌悪感を何度も示していたにもかかわらず、なぜそれが戦争のトラウマの後遺症だと結びつけて考える連想が働かなかったのか…(中略)…見ようとしなければ、トラウマ反応は見えないのではないだろうか」

 さらに蟻塚氏はこうつづる。

 「ごくまともに精神科の臨床をやっていれば、震災トラウマや戦争トラウマによる症状はたいていの精神科医は気がつくはずのものだ……にもかかわらず、沖縄生まれで沖縄育ちの精神科医には、なかなか見えなかったのはなぜだろう? それは沖縄の社会全体がトラウマに傷んできたためだと思う。『うちなんちゅ』の精神科医の方たちと話をしたときも、ある方から、『自分たちの親世代が戦争を経験しているから、家庭の中で戦争を語ることはタブーだった』と聞かされた。これはトラウマの二次受容という現象である」

基地の存在がトラウマを増幅させる。それは常に「ライブな記憶」

 原爆が投下された翌日、広島には救援隊が入っている。しかし沖縄では、軍の支援も救援隊の派遣もなく、病気や飢餓でさらに被害が広がった。

 その後は、勝手に米国に譲渡され、アメリカは「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出して収容所に収監し、勝手に基地を建設した。「世界一危険な基地」普天間飛行場のはじまりである。

 蟻塚氏は問いかける。

 「収容所では家族ごとに固まっているところへ米兵が女性を求めにやってきて、一家の主婦・母・妻・娘が連れていかれて性暴力にあった。収容所の有刺鉄線を越えて夜間に脱走を図った住民たちは射殺された。いったい『本土』でこのように収容所に入れられ、このように強姦され、射殺された人がいるか?」

▲沖縄の日本人収容所(ウィキペディアより)
▲沖縄の日本人収容所(ウィキペディアより)

 在日米軍基地の70%が集中する沖縄だが、これは「1955年から60年にかけて本土でたたかわれた反対闘争によって、静岡や山梨、岐阜などから追い出された米軍基地が沖縄に来た」結果によるものだ。ブルドーザーで住宅をつぶし、身体を寄せて座り込んで抵抗する住民たちを銃剣で威嚇してきた。

 「私が沖縄にいたときに外来に通ってこられたAさんは、お兄さんと体と体を縛って座り込みに参加していたが、米軍の銃剣の脅しのもとに撤退したと語った。『米軍の銃剣の奥にヤマトの土建会社がいた』と彼は言う。沖縄の基地負担も『銃剣とブルドーザー』による脅迫も日米合作なのだ」

 この構造は今も変わっていない。基地はいつも「日米合作」で、維持されてきた。

 1942年生まれのある沖縄男性の体験を著書より引用する。

 「母の祖父は、当時のスペイン風邪にかかったが、治療法がなく他人に感染するといけないので医者に殴り殺された。父は…戦争に行ってから人格が変わり、仕事をしなくなり、何かあると鉄拳が飛んでくるようになった…(中略)…小学5年ころまでは米軍の残飯ひろいをして食べ物を入手した。軍の雇用員として働いている人しか現金収入がなく、それ以外の人たちはサトウキビを売って生計を稼いでいた。当時米を食べれたのは田んぼを持つ人か、軍で働いて米を買うことができた人だ…(中略)…おじさんが戦果あぎゃー(物資が豊かな米軍基地に忍び込んで盗むこと)をやって監獄に入れられて頭から袋を被せられてみんなに叩かれた。…(中略)…自分たちの少し先輩たちは米軍用車の消火器などを泥棒していた…(中略)…戦前から口減らしもかねて『糸満売り』(いちまんうい)という人身売買が行われていたが、中学生の頃も生活に困って人身売買が行われていた。宮古島ではよくあると当時も聞いた。人身売買の先にあるのは、売春か漁業などの労働力だ」

 昭和36年から38年まで、児童の人身売買は少なくとも46件あった。昭和38年、つまり東京オリンピックの前年である。

▲「少女轢殺」。1965年、宜野湾村、嬉野京子氏撮影(「沖縄戦と心の傷」より抜粋)
▲「少女轢殺」。1965年、宜野湾村、嬉野京子氏撮影(「沖縄戦と心の傷」より抜粋)

 沖縄米軍基地の存在が、沖縄戦の傷をさらに広げていったことは想像に難くない。飛行機の騒音は戦争の記憶をフラッシュバックさせ、常に気が休まらない。また海兵隊のひきおこす暴力・犯罪行為によって、安全が脅かされ、しかも日米地位協定によって犯罪者は裁かれもせず野放しである。これでは戦時の傷も癒えないどころか、逆に増幅したことだろう。

 蟻塚氏は、「基地を抱える沖縄では、戦時の記憶は、常にライブな記憶なのだ」と位置づけ、「沖縄の犯罪事件の衝動性、高いDV被害、自殺、DVによる接見禁止命令違反率の高さなども沖縄戦と基地被害のトラウマとの関係があると考えている」と記している。

▲「サトウキビ畑に降下し、急いで退散するグリーンベレー」、1988年(読谷バーチャル平和資料館より転載)白黒だが、比較的最近の写真。
▲「サトウキビ畑に降下し、急いで退散するグリーンベレー」、1988年(読谷バーチャル平和資料館より転載)白黒だが、比較的最近の写真。

 

辺野古移設で耐用年数200年のアジア最大の軍事要塞が完成。沖縄の負担軽減どころか負担の恒久化

 日本政府は今も昔も沖縄に多大な犠牲を強いておきながら、「沖縄の基地負担軽減」として、辺野古への新たな米軍基地建設を強行している。では、辺野古に移設すると沖縄の負担は軽減するのだろうか。答えはもちろん「NO」だ。

▲「世界一危険な」普天間基地(ウィキペディアより)
▲「世界一危険な」普天間基地ウィキペディアより)

 蟻塚氏によれば、嘉手納以南の基地をひとまとめにして一大軍事拠点とする辺野古新基地建設構想は、沖縄の本土復帰前後に出てきた案だという。しかし、ベトナム戦争などが重なり、基地建設に関する予算が獲得できず、実現できないでいた。その後、日本の思いやり予算などが創設されたことで、計画が再浮上した。

 大田昌秀沖縄元県知事によれば、「辺野古新基地の耐用年数は200年」。負担軽減と銘打っているが、その実は沖縄の基地負担の「恒久化」に他ならない。蟻塚氏は、「辺野古伊江島が拠点となることで沖縄全島の空が米軍のものとなる可能性が高い」とも述べる。

(*1)沖縄を語る:大田元知事 辺野古容認「沖縄の弱さ見せた」沖縄タイムス

 本土の人々の多くは、沖縄が強いられてきた歴史も現在の現実もよく知らない。そこにつけこむように、「反対しているのは本土の活動家」「(反対派市民は)カネで雇われている」などと、プロパガンダが繰り広げられる。「ニュース女子」も、そうした卑劣なプロパガンダの一端である。

▲ジュゴン(ウィキペディアより)。絶滅危惧種であり、非常にデリケートな生物で、わずかな騒音にも反応する。辺野古基地建設予定の名護市・大浦湾は、世界でも数少ないジュゴンの生育地である。
ジュゴン(ウィキペディアより)。絶滅危惧種であり、非常にデリケートな生物で、わずかな騒音にも反応する。辺野古基地建設予定の名護市・大浦湾は、世界でも数少ないジュゴンの生育地である。

 翁長雄志知事は岩上安身のインタビューに答え、次のように述べている。

 「サンフランシスコ講和のお祝いをするときに、沖縄が切り離され、『独立』を祝った。これから以降も、本土を防衛する時に沖縄を切り離す、という歴史の教訓があると思います」

 「デマ」や「嘘」は、米軍基地に関することだけではない。戦後72年、戦争体験者の多くが鬼籍に入っていく中、沖縄戦における悲劇は「なかった」といわんばかりの歴史の捏造が横行し始めている。

 1982年、「高校日本史教科書検定」で日本軍の沖縄住民虐殺の記述が削除された。これに対して、県民の怒りが爆発した。県も猛抗議し、記述を復活させた。

 ところが2007年、超党派の議員らで作る日本会議国会議員懇談会日本会議議連)は総会で、「『軍命令による沖縄住民に対する自決の強制』が教科書記述となることは許されない」とする決議を採択。以後、すべての教科書から、集団自決「強制の一文が削除されるに至った(その後、沖縄県の抗議を受けてごく一部の教科書で、集団自決「強制集団死」の一文が復活した)。

 政府のこうした意向を反映してだろう、仲井真弘多沖縄前知事は、2012年3月首里城にある旧32軍豪跡地の説明板から「従軍慰安婦」や「住民虐殺」の記述を削除させている。

 こうした歴史修正や捏造も、反対派市民を中傷する「ニュース女子」も、辺野古新基地建設の実状は報道せずに、「普天間の基地負担軽減」だけを政府の意向に沿って繰り返すメディアも、根は一緒だ。沖縄にはずっと基地を背負ってもらいたい、それしか選択肢がないことにさせたい、そのための世論形成である。背景には、「対米従属」という戦後日本の「国是」があることは言うまでもない。

 戦後70年が過ぎ、戦争体験者の多くが鬼籍に入り、歴史の修正と捏造がますますはなはだしくなる中、トラウマ、すなわち「脳の中の戦争記憶は風化しない」という視点で先の戦争を振り返ったこの『沖縄戦と心の傷』は、きわめて興味深い。戦争の惨禍、米軍基地と沖縄の人々の現実を知るためにもぜひご一読をおすすめしたい。2月28日には、岩上安身が蟻塚氏に単独インタビューする。ぜひご視聴いただきたい。

以上、IWJ より引用。

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