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沖縄の召集された少年兵、護郷隊の真実

2017年1月29日

■ 沖縄の召集された少年兵、護郷隊の真実 ■

軍は言葉を変え、法をねじ伏せ、真実を歪めた。

それは軍が言うような「志願」なんかではなかった。何もわからないまま集められた少年たちは、親元や学校から引き離され、武器を渡され、任務を命じられた。

14歳から17歳の少年といえば、中学生から高校生の子どもたちだ。いよいよ沖縄戦を見据えた日本軍は、1944年の 9月から随時、沖縄の14歳以上の男子を兵士として徴兵した。

なかでも「護郷隊」は、戦闘行為に動員されて約半数の890人が戦死した「鉄血勤皇隊」よりもさらに強制的に招集され、やんばるでゲリラ戦を展開すべく命じられた。800~1000人の少年が防衛召集され、そのうちの162人が戦死したとされる。

この護郷隊で「切り込み隊」に選ばれたのは60名の少年。爆弾の箱を背負わされ、敵陣に突っ込むよう命じられた。軍に切り込み隊として「自爆テロ」を強いられた60人の少年、そのひとりが、当時十六歳の瑞慶山さんだった。

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琉球新報 (2017年1月28日 12:52)
<未来に伝える沖縄戦
16歳で護郷隊へ召集 敵陣斬り込み 死を覚悟 瑞慶山良光さん〈上〉
http://ryukyushimpo.jp/movie/entry-435018.html
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大宜味村上原の瑞慶山良光さん(87)は、本島北部の少年たちで組織された遊撃隊(護郷隊)として戦争を体験しました。護郷隊は、スパイや謀略家を養成する陸軍中野学校出身者の指揮の下にゲリラ部隊として編成されました。

米軍の陣地や戦車へ突撃する斬り込み隊としての出陣令状を受け取り「もう生まれてこなかったと思えばいい」と覚悟したことや、米軍が投げた手りゅう弾の破片が頬に刺さり今も傷痕が残っていることなどを大宜味中1年の上地希空さん(13)と平良日菜多さん(13)に語りました。

 1945年3月1日、大宜味青年学校1年。16歳だった。学校ではなく役場の前に集合したら、軍曹が「これから私の指揮に従ってもらう。今から出発する」と話したが、どこに行くか何をするかも聞かされなかった。集まった親たちが「どこに行くんですか」と聞いても「言えない」と。秘密のままに出発した。

 恩納村熱田原の国民学校に着いて教官から「今日から第2護郷隊として任務に就き、われわれの軍事教育を受ける」と訓示があってね。球部隊第4遊撃隊として銃や剣、軍服を一式渡された。教育訓練だよ。ほふく前進を肘にマメができるまで、皮がむけて感覚がなくなるまで。「痛くなくなるまで訓練しろ」と言われて、痛くて前に進めない人もいた。そんな人は、木でできた鉄砲でお尻を突かれたり、腹やほっぺたを殴られたりしていた。

 〈3月下旬には沖縄本島の空襲が始まり、恩納岳の本陣地に向かうことになりました。その時、指揮官から令状を受け取ります〉

 緑の字で書かれた「斬り込み」の出陣令状だった。これをもらった人は3月28日で作業を終え「29、30日は安息日にしなさい。おいしい物を食べなさい」と言われ、特別に牛缶をもらってね。430人いた中で斬り込み隊に選ばれたのは60人。今のテロを思い出したらいいさ。

 30センチくらいの高さの木の箱に黄色い粒や導火線を入れて、それを背負って火を付けたら燃えてバンと戦車もひっくり返るわけ。人間も一緒に。死刑宣告さあね。遺髪箱を渡されて、髪の毛を切って、爪を切って、うちから持ってきた私服を整頓して入れた。

< つづく >

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また、少年たちの結束の強さを警戒した軍は、少年たちを厳しく酷使し、少年同士の制裁を強制し、仲間の「処刑」すら強いられたことも明らかになっている。
沖縄戦元隊員証言、護郷隊少年兵が互いに制裁 (http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-244607.html)

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