2016年8月17日
波照間の戦争マラリヤとは
戦況が厳しさを増していた1944年。軍隊のいなかった波照間島に、「青年学校の教師」という一人の男がやってきました。山下虎雄と名乗るこの男性を島の人たちは何の疑いも持たず、歓迎したといいます。当時、学校の用務員をしていた西里スミさん(86)は今もこの男性のことを忘れることができません。
「人柄はよかった。体格も大きくて、本土の人は大きいんだなあと。(本当の素性は)全然わからなかった」
実はこの男性は、陸軍中野学校の卒業生だったのです。陸軍中野学校とは戦時中にスパイを養成するために作られた教育機関。2000人あまりが卒業したとされていますが、その存在も活動もすべて極秘とされ、関係資料も終戦直前に焼却されたと言われていました。
しかし2012年のこと、一期生に関する「卒業報告書」が発見され、秘密のベールに包まれた教育訓練の一部が明らかになったのです。兵器や諸外国の事情などを学ぶ「軍事学」からはじまり、英語、ロシア語、中国語は必須、剣術、柔術、防諜技術、細菌学や爆破実習まで1290にも及ぶ単位のカリキュラムを習得するエリート・スパイ養成校です。
この中野学校卒業生が、アメリカ軍の上陸が予想される沖縄に集中的に配置されました。山下虎雄もその一人であり、本名ではなく偽名でした。最初こそ物腰穏やかで、子供たちにも親切だったという山下が、その正体を現したのは沖縄戦が始まったときのことです。突如、平服から軍服姿になった山下は、島民を集めると「日本軍の命令だ!」と、島民を波照間島から西表島に強制移住するように指示を出しました。
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