不安クラブのイチオシ沖縄観光 ②「基地の街」とは?

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基地の街の苦悩・・・。

 

時として気をつけなければならないのは、こうしたニュースを見るにつけ、沖縄の土地勘のない本土の人は、ああ、沖縄で基地がなくなると困る人がこんなにいるんだ、と思い、基地反対派を静観するしかなくなる。それが「賢明な身振り」だと思い込む。

 

いや、違いますよ。

 

こうした「苦悩する基地の町」というニュースニュースが、いとも簡単に、「基地に依存している」「気の毒な」沖縄の誤ったステレオタイプ・イメージを本土の人たちに与えてしまう。時として、そんなふうに、巧妙に、あるいは狡猾に、政治的に構成してあるところが問題なんです。

 

観光で沖縄にくる本土の人は気づかないだろう。が、どれほど多くの沖縄の「基地の町」が、いま、どれだけ沖縄らしい美しいまちに変貌しているか、そうした数えきれない事例も、同時に並べてみればいい。

 

皆さんがよくご存じの那覇国際通り浦添もかつては基地の町。

 

国際通り に対する画像結果 

 

浦添 に対する画像結果

 

基地の跡地だった、おもろまちアメリカン・ビレッジ。そして新しくできたイオンモール・ライカム。オシャレな店舗やマンションが建ち並ぶハンビー・タウンもそう。

 

 

アメリカン・ビレッジ に対する画像結果

 

イオンモール沖縄ライカム

 

イオンモール沖縄ライカム

 

そんな賑やかすぎる町にならなくとも、返還後の読谷の美しい海とふきわたる風を満喫できる豊かな町づくり。ほんとうの沖縄の姿。その地にたち、それを私たちは誇りに思う。

 

読谷 返還後 に対する画像結果

 

 

いま、基地による経済効果は、たかだか 5% に過ぎない。基地労働者は1万人を切って9千人しかいない。

 

強制接収で奪われた土地が返還され、どのように沖縄の土地に根差した美しい町づくりをしてきたかが、まったく述べられないまま、ただただ、基地産業に依存しているから困っていると。

 

いや、残念ながら、金武の町は米軍基地があっても、今や普段から人通りは少ない。

 

基地と戦争景気と米兵に依存せざるをえなかった過去の街づくりの限界地を、今、私たちは昔話のように脱ぎ捨てている。

 

金武  に対する画像結果

 

戦後は本土中にもあったはずだ。GHQ に依存した産業、ドル紙幣をカバンに詰め込んで帰るといわれるほどの伝説的な客商売が。

 

でも、基地の多くが (多く沖縄に移転され) 本土の町から消え去って、それで町は死んでしまったか? 本土の基地がなくなって、それで本土の街の灯が消えたとでも?

 

 

否。

米軍基地がなくなるということは、普通になる (米軍基地のない、あなたの住む町や田舎のようになる) だけなんですよ。安全で、普通の道理が普通に通じる町に。

 

基地から開放地になり、不発弾撤去して、投棄された汚染物質も除去して、上下水道を引いて、それから地主たちが協議して新しい街を整備する。十年がかりだ。

 

ospreyfuanclub.hatenablog.com

 

そうした沖縄の永年の願いと試みと発展を一つも報じることなく、「基地に依存した気の毒な町」の虚像だけを報道する意図はどこにあるのか、今一度、問いたい。

 

こうした本土の報道にたいする、わじわじー感は、ここにある。 (沖縄では、怒っている時に「わじわじー」と表現します)

 

本土の人に知ってほしい。

沖縄が、その本来の姿をとりもどすため、どれほど長い闘いを歩んできたかを。

 

普通の道理が、普通に通づる町に。普通に、子供たちが、女性たちが、安全に家路につける町に。Y ナンバーの車に毎日びくびくとおびえながら暮らすことがない町に。

 

そのために頑張っている人たちの声を届けてください。

 

そして、「基地の街」といわれている街にも足を運んでみてほしいのだ。それが、セピア色のアナクロな幻想であったことにも気がつくだろう。でも、

 

けっして惑わされないでほしい。「基地に依存する気の毒な沖縄」の誤ったステレオタイプを助長する一元的な報道に。

 

沖縄は本来「基地の街」や「悲劇の島」でもない、ましてや、本土の「平和」の捨て石として搾取される島でもない。

 

そのままの沖縄を、

その風を感じてほしい。

 

ちゅらかじの島から。

 

オスプレイ不安クラブの願いです。

 

 

基地の街閑散 在日米海軍禁酒、飲食店は死活問題

朝日新聞デジタル

岡田玄、前田基行、矢島大輔

2016年6月10日11時12分

沖縄県で女性を殺害し遺体を遺棄したとして、米軍属で元米兵の男が逮捕された。米兵の飲酒運転による人身事故もあり、日本に駐留する米海軍と沖縄の全米軍はそれぞれ、軍人らの飲酒や外出を制限した。基地の街を歩くと、閑散とした通りで、米兵相手の商売をする人たちが複雑な思いを抱いていた。

 極東最大の米空軍基地、嘉手納基地を抱える沖縄県沖縄市の「ゲート前通り」。7日夜、米兵向けのショークラブの壁には英語で、「6月24日まで閉店」と書いた紙が貼ってあった。24日は禁酒令の期限だ。別の店の前に座っていたフィリピン人のバンドマン(33)がつぶやく。「事件以降、客が一人も来ない。あと2カ月も続けば、この辺りは全部つぶれる」

 北に約20キロ、同県金武(きん)町の米軍キャンプ・ハンセン前の歓楽街「新開地」も明かりはまばらだった。酒屋を営む村田洋子さん(50)は「売り上げは3分の1になった」。事件後、酒を納めている15軒の「外人バー」の大半が店を閉めたという。

 沖縄の米軍は、米兵による2012年の女性暴行事件後も外出・飲酒を制限。飲食業関係の団体の要請で14年12月に緩和した。「解禁後も事件はまた起きる。そして外出禁止。その繰り返しだ」。町社交飲食業組合の大道智組合長は言う。

 沖縄の県民総所得に占める基地関係収入の割合は、本土に復帰した72年は15%ほどだったが、近年は5%前後にまで減った。それでも、基地周辺には「客の多くが米兵」という店がある。

 米兵に人気の食堂「ホワイトキッチン」の店内には米兵の写真がびっしり。経営する普久原(ふくはら)朝太郎さん(76)は「いい人ばかりだよ。今はみんな夜9時には基地に帰る」。ただ、硬い表情で続けた。「外人相手の店だからって、事件を許すわけにはいかない」

 

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