Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

不安クラブのイチオシ沖縄観光 ① 道の駅かでな - 嘉手納基地に向かいあい 「安保の見える丘」ちかくに道の駅を建てた、その思いとは

 道の駅嘉手納 に対する画像結果

 

 

道の駅かでな

地元民に日常的に利用されている道の駅スポットですが、

普通のそれとはすこし様相が異なります。

 

ここは別名ミリオタの聖地とも呼ばれ、

米空軍嘉手納基地を一望できるため、

カメラを装備したミリオタさんたちがぎっしりと屋上にいます。

 

道の駅嘉手納 に対する画像結果

 

しかし、

この場所に基地周辺地の建築制限にも屈せずこの場所に道の駅を作った、その想いとは何か。

 

 

不安クラブの一押し沖縄観光シリーズ第一弾は、

この道の駅かでなから出発したいと思います。

 

 

嘉手納弾薬庫と嘉手納空軍基地に挟まれた道の駅かでな

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米軍基地は土地を接収して基地を立て、公害をまき散らすだけではなく、基地の周辺にも様々な建築制限をひいている。

 

何度も交渉を重ねたすえ、嘉手納基地のフェンスにむかって展望台も学習展示室も含んだかたちの、四階建てのこの建物すらが、嘉手納の町の米軍基地にたいする象徴的な抵抗の姿といってもいいかもしれない。

 

嘉手納町について

町総面積15.12k㎡の 約82% に相当する12.46k㎡が米軍基地(①嘉手納飛行場、②嘉手納弾薬庫地区、③陸軍貯油施設)となっています。 そのため残されたわずか2.58k㎡の狭あいな地域に13,700人余の町民がひしめきあった生活を余儀なくされており、生活環境をはじめ、都市基盤の整備や産業の振興をすすめる上で大きな制約となっています。

  

 

1階、特産品展示販売場、

2階、レストラン

3階、学習展示室

道の駅かでな展示室 ⇦ 超お薦め !

 

4階、展望場

嘉手納基地が一望できる展望台

 

 

で、ですね。

 

タビライとは、観光客向けの沖縄旅行サイトですが、

この嘉手納道の駅のたいせつな要点はちゃんと網羅し紹介していて素晴らしいので、以下に引用しつつご紹介ます。

 

www.tabirai.net

嘉手納空軍基地と隣り合わせにある道の駅かでなでは、沖縄の物産やグルメを楽しむだけでなく、基地と共にある沖縄の日常を垣間見ることができる。

 

嘉手納町は米軍嘉手納基地に土地を大きく奪われ農業もろくにできないこと。

 

 町の面積の約83%が嘉手納空軍基地と嘉手納弾薬庫として使用されている嘉手納町は、農業をする耕作地も少ないため、現在道の駅かでなには、農作物直売所が併設されていない。けれども道の駅かでなから基地を見下ろすと、フェンスと基地の防音壁との間に、狭いながら野菜を栽培している畑を見ることができる。これは黙認耕作地といい、基地内に何カ所かある畑で農業をすることが許されているのだという。「嘉手納町内の農家さんを支援するという意味もあって、毎月第4土曜には週末市を開催しています。…

また嘉手納町は中国から沖縄にサツマイモの苗を持ち込んだ野國總管の出身地として、サツマイモ発祥の地としても知られている。


② 嘉手納基地の広さの事。

 

嘉手納空軍基地には4000メートル級の滑走路が2本あり、広さは東京ドーム420個分と日本最大級の規模を誇る。これだけの大きな基地を見渡せるのは沖縄県内でも道の駅かでなだけ。

 

③ 町民の思いで安保の見える丘近くに道の駅を建てたこと。

 

県道をはさみ向かい側にある安保の丘(あんぽのおか)は、基地が見える場所として以前から修学旅行生や観光客をはじめ、沖縄の人たちも訪れる場所だった。「この場所に道の駅を作ることに意義を感じ、国や米軍とも調整を続け、道の駅を作るのに10年かかったと言われています」。

 

④ 嘉手納基地の周りに建物を立てる時は、高さ制限があること (基地の外側なのに自由に建築できない)。

 

基地に面して、防音壁とほぼ同じ高さである2階建て以上の建物を作ってはいけないという規制も交渉で乗り越え、4階にあたる屋上の展望場からは、広大な基地内を見渡すことができる。


⑤ 爆音の事。

 

頻繁に離発着する戦闘機は、小さい子どもが驚いて泣き出すほどの轟音を響かせ、垂直に上昇する様子を目にすると、感動とも恐怖とも違う不思議な感覚にとらわれる。

 かでな道の駅 に対する画像結果

 

⑥ 道の駅かでな に託した町民の想い。

 

道の駅かでなの3階にある学習展示室は、パネルとモニターを使って、地域の歴史を分かりやすく学べる施設だ。戦前嘉手納町には当時交通の要として活躍していた軽便鉄道が走り、人と物が集まる場所であったことや、基地内に接収されて消えてしまった集落があることについて学び、またヘッドフォンでトラックと旅客機と戦闘機がたてる騒音の聞き比べをすることもできる。


 やはり基地に接収されてしまった千原(せんばる)という地域に伝わり、現在保存会によって、千原出身者のみで継承されている千原エイサーのビデオ映像も見ることができる。「このエイサーは男性だけの演舞で、空手の型を取り入れた個性的なものです。土地を失ってもなお残していきたい地域の誇りが感じられますよね」と渡口さん。

 地域の物産を購入し、美味しいものを食べるだけではない道の駅かでな。その土地の本当の姿に触れる貴重な体験ができるはずだ。

 

 

ぜひ、ご家族でごいっしょに道の駅かでなを訪れ、基地に奪われたかつての美しい嘉手納の里の営みに想いをはせてみてください。