72年前のきょう 1945年4月24日 「津堅島の悲劇・前夜」
「チーム沖縄」と称する、自称「沖縄の保守」の安倍ポチ・ワンワンな、沖縄の残念な自治体首長の1人である現職の島袋俊夫氏が再選を果たした。
NHK沖縄放送局は今日の夕方のニュース番組の中で、島袋市長をスタジオに招き、インタビューを行なった。
島袋市長は、うるま市に散在する米軍基地や自衛隊基地に関する質問で、うるま市にある基地の数々は、
『沖縄にある基地の縮図のようなもの』であると表現し、
『ホワイトビーチに寄港する米軍の原子力潜水艦に関しては、引き続き反対する立場だ』とだけ述べた。
『基地は、米軍のものや自衛隊のもありますが…』と、説明し始めたものの、津堅島沖などで繰り返し行われている日米合同訓練や、伊計島の農道に不時着した米軍ヘリのこと、また、うるま市の女性が元海兵隊員によって性的暴行を受け、殺害されたおぞましい事件のことなどに触れることはなかった。
その殺害された女性の一周忌は、今週末である。
彼女が、その若い命を奪われるその寸前まで経験した「生き地獄」は、島袋市長の頭の片隅にさえ「ない」ということだ。
しかも、昨夜、当確が出た直後のインタビューで菅官房長官は、
『(県内) 11市のうち9つが翁長県政に否定的で、オール沖縄という言い方が現実と全く違っている』と述べたそうだ。
その発言について問われた島袋市長は、
「オール沖縄は、その考えを地方自治体に持ち込むな」というニュアンスで、
「辺野古移設反対という考え方は、地方自治体の選挙ではどうなのか。そういうことは、国に任せて、地方自治体は、それぞれの課題を頑張る必要がある」
というような内容の返答をした。
その数分前に島袋市長は、うるま市にある基地は『沖縄にある基地の縮図』と表現しているが、
どうやら『沖縄にある基地の縮図』であるがために発生する様々な基地問題の『縮図』には全く関心がないようだ。
それらについては、『国任せ』にするということらしい。
うるま市は、石川、与那城、具志川などの地方自治体が合併してできた市だ。
72年前、それらの地域に住んでいた人びとが経験した「生き地獄」にも無関心なのだろう。
72年前の今日から明日にかけて、津堅島の日本軍壕にいた人びとが、米軍の火炎放射器で焼かれ、爆弾を投げ込まれていたことなど、頭の片隅にもない。
いや、おそらく、そんな歴史があることさえ知らないのだと思う。
自分が首長をつとめる「うるま市」で、日本国の誤った政策が原因で起きた戦争に巻き込まれた住民の苦悩、悲劇、
また、その後に発生した米軍、米兵、軍関係者による数多くの事件、事故で起きた悲劇は、
島袋市長に言わせれば、
そんなのは、自治体首長が「関わることではない」というのが本心なのだ。
なぜ、多くの沖縄県民が反対しているのか、
全く理解していない。
そして、そんな人物に投票したうるま市民も、全く理解していない。
うるま市は、米軍・米兵による事件、事故を全て「国任せにする」と意思表示したも同然だ。
伊計島に不時着した米軍ヘリに関しても、
うるま市に住んでいた若い女性の身に起きた悲劇も、
宮森小学校に墜落した米軍機のことも、
そして、72年前の津堅島で、今日から明日にかけて起きた悲劇も、
再選したうるま市長の島袋俊夫氏にとって、また、同氏に投票したうるま市民にとっては、
『自分とは関係ないこと』なのだ。
これが「沖縄の保守」と豪語する人びとの正体だ。
その人たちが、
米軍の事件事故によって命を奪われた人たちや、
戦争で亡くなってしまった家族や祖先の魂を弔おうと、
事件・事故現場で、
清明祭や旧盆で、または、慰霊祭などで、
どんなに祈ろうとも、
このような現状では、
日本国の愚策が原因で、米国の軍事植民地政策が原因で、
命を失った沖縄の人びとの魂が、安らかに眠る日は永遠に来ない。
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