2017年4月11日
72年前の今日、南西諸島近海では日本陸海軍の航空機による特攻が激しさを増していた。
彼らは命を捨てて、なにを達成しようとしたのか。
命を捨ててまで護ろうとした日本国土に、
彼らの没後から72年が経過した今でも、敵の基地が蔓延る今の状況を想像しただろうか。
命を捨ててまで「鬼畜米英」を攻撃した日本兵。
彼らの死を美化するネトウヨだが、米軍にも熱心に尻尾を振る。
そんな日本にするために、日本兵は死んだのだろうか。
72年前の今日、沖縄本島中部の嘉数集落周辺に布陣していた日本兵は、丘を登ってくる米軍と死闘を繰り広げていた。
爆弾を抱えて穴に入り、迫り来る戦車めがけて投げつける。
「タコツボ」と呼ばれたその穴で、敵の鉄の塊が近づいてくるのをジッと待つ。
命をかけて「タコツボ」にいた日本兵は、なにを達成しようとしたのか。
彼らが「タコツボ」から見た景色、嘉数の高台から見た景色の先は、
「鬼畜米英」の航空基地となった。兵站基地となった。
それを『日米同盟』といって賞賛するネトウヨ。
72年前に命を捨てた日本兵らは、こんな日本にするために死んだのか。
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オスプレイ不安クラブ - ■ 72年前のきょう 1945年4月11日 「激しさを増す神風特攻」■... | Facebook