Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

72年前のきょう 1945年 3月29日 「慶良間の小型海軍基地」

2017年3月29日

ネトウヨは、敵が「いきなり」離島に上陸してくると考える。

でも、実際は違う。

沖縄戦で米軍は、空爆、艦砲射撃してから上陸した。

上陸したら、自分たちで食糧や必需品を調達しないといけない。
もちろん、日本軍の陣地から盗むことなどできないし、コンビニあるわけじゃない。笑

米軍は、圧倒的な量の物資を持って沖縄にやってきた。「腹が減っては戦はできぬ」から。

そして、敵の陣地に乗り込むわけだから、ありとあらゆる物を準備しておかないといけない。

私たちが旅行するときでさえ、身の回りのものを持って出かける。
それが戦争であれば、なおのこと。

72年前の今日、米軍は慶良間列島を小型の海軍基地にした。

沖縄本島に上陸するには、少し離れた慶良間列島に艦艇を泊め、そこで修理までした。
工兵部隊が入ってきて、軍車輌が走るための道や浮き桟橋もかけた。
沖縄の米軍基地は、72年前の今日から建設が始まった。

島に上陸して日本軍を制圧したら、それで終わりじゃない。
作戦の最終目的は、日本本土上陸。
そのためには、まずは沖縄本島を制圧する。でも、その前に慶良間列島を制圧する。
その前は、フィリピンを制圧していた。米軍の物資は、フィリピンから沖縄に運ばれたのだ。そう、太平洋の反対側から沖縄まで、直接物資を運んだわけじゃない。

空爆や艦砲射撃をし続けながら、まずは戦闘部隊を上陸させた。敵を追う戦闘部隊がある程度進めば、その後を掃討を担当する別の部隊が追う。

そして、自分たちの陣地を確保するため、工兵部隊を入れる。自分たちが必要とする食糧や武器、弾薬をおろすための仮桟橋や道路を、工兵部隊が建設していく。

もちろん、重機で!

日本軍のように、何千人もの住民をかり出して、シャベル片手に、バケツ片手に、人海戦術で陣地や壕を造ったわけじゃない。

72年前の今日から、沖縄は米軍の基地にされた。

neverforget1945.hatenablog.com

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