Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

72年前のきょう 1945年3月27日『米軍、慶良間列島を次々と制圧』

2017年3月27日

72年前のきょう、米軍は慶良間で一番大きな島、渡嘉敷島に上陸した。沖縄本島は、もう目と鼻の先。

72年前の昨日、米軍が慶良間列島に上陸してきた。そこにいた日本軍の部隊は、慶良間の住民を守るために配置されていたのではない。彼らの任務は、1人乗りの特攻ボートを使い、沖縄本島に上陸する米軍を背後から襲うというものだった。

だから、そういう訓練しかやってなかったし、地上戦に必要な武器など、ほとんど持っていなかった。

軍隊は、「なんでも屋」じゃない。各部隊には、それぞれ決められた任務があるし、それを遂行するために努力する。

与えられた任務以外のこと、日頃から訓練していること以外を「やれ」と言われても、できるかどうか。もちろん、どうにか対応しようとはするだろう。

しかし、対応できる知識や知恵がなかったら?
対応に必要な物資や装備品がなかったら?
専門外のことに対応しようとするあまり、決定が二転三転してしまい、その結果、対応を誤ったら?

慶良間列島に配置されていた日本軍の部隊は、地上戦の訓練など、ほとんど受けていなかった。任務はボートに乗っての特攻だったから。あれこれできる「なんでも屋」ではなく、1つのことを極めようとした「専門店」のようなもの。

なのに、重装備で上陸してきた米軍を相手に、専門外の上陸戦を軍刀や短銃でやろうとした。離島にいるから、誰も助けに来ない。どうにか自分たちで対応しないといけなかった。行き当たりバッタリの対応。

住民に対してもそうだ。任務は「敵から住民を守ること」ではないから、住民をどうするかなど、考えてもいない。重装備で向かってくる米軍の対応で手一杯だ。

しかも、ボートを使った特攻作戦は「極秘」扱いだったから、米軍にボートが見つかっては困る。それにも対応しないといけなかった。たった数百人で。

住民は「いざとなれば日本軍がどうにかしてくれる」と思っていたけど、そうじゃなかった。当時は『皇軍』である日本軍からの『命令』は、『絶対服従』の時代。軍の決定に従うのが当たり前の時代。たとえ、日本軍の戦隊長が二十代の若者だったとしても。

軍人の言うことは絶対に従わないといけない時代。今の民主化した時代のように、国から派遣された役人に「あーだ、こーだ」と文句言えるような時代じゃなかった。

さて、そこで現在の状況を考えてみよう。

日本政府は、『南西諸島防衛で空白地帯をつくらない』とかなんとか言いながら、『離島で大災害が発生したら、自衛隊がいると安心』と考える一部の住民の心をつかみ、先島の自治体に自衛隊を売り込む。

数日前から何度も同じことを言うが、先島に配置されるという自衛隊は、一体何をするための部隊なのだろうか。72年前の国民は、政府に「あーだ、こーだ」言えなかった、聞けなかったけれど、今は違う。先島に配置されるとする自衛隊の部隊は、一体、何ができて、何ができない部隊なのか。住民は、部隊が配置される前に、きちんと政府に質問し、答えてもらう必要がある。

「なんでも屋」が来ると感違いしないためにも。

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