なぜ教育現場でシビリアンとミリタリーの分別がつかないのか。島袋市長のうるま市が主導、海兵隊基地内で夏季英語クラス開催。
数々の虚仮と欺瞞と背信の積み重ねで
どう足掻いても沖縄で票がとれない自民党だが。
その自民党がいま力を入れているのが
沖縄の若者をターゲットにした「教育」である。
闇営業隠ぺい事件や、選挙前日に安倍総理を舞台にアゲた関西の吉本興業会長が、県抜き沖縄カジノ誘致の自民党懇談会にしっぽりとはいっていたり、そんな吉本興業に政府系クールジャパン機構が100億円の公的資金を投入して「沖縄から教育コンテンツ」を発信するという。そんな政治的教育コンテンツ必要だろうか。
しかし、今日、話題にしたいのは、もう一つの教育コンテンツ。本土の吉本興行ではなく、なんと、米軍と教育現場のコラボである。
シビリアンコントロールと教育の独立性は民主主義の原則であるが、その常識を大きく踏み越えるような事例がまかり通っている。
表向きは「英語力を高めるため」として外務省が出してきた、沖縄県内の日本人児童生徒の米軍基地内学校編入枠をつくる案、だけではない。
自民党が自民党系市長がすすめる、米海兵隊と教育現場の融合策、いわば米軍による教育コンテンツのプロデュースである。
( 1 ) うるま市「募集」の米海兵隊基地内での軍服で「夏季英語クラス」
例えばうるま市では、海兵隊によると、市役所が直々に市内高校生に米海兵隊基地内で行われる夏季英語クラスの生徒を募集。
在日外国人の教育者に不足しているわけでもないのに、わざわざうるま市の島袋市長が先頭に立って海兵隊基地内のなかに高校生を呼び入れる。
海兵隊が高校生の夏季英語クラスをサポート
米海兵隊基地キャンプ・コートニー -- 沖縄県うるま市役所が市内の高校生を対象に応募した夏季英語クラスが、基地内の将校クラブで開催され、地域の高校生たちが続々と集まって来ました。
今年19回目を数える英語クラスでは英会話スキルを磨くため、35人の高校生たちが一週間を通してボランティアの海兵隊員らと一緒に勉強をし、コミュニケーション能力の向上を図ります。
しかも話がおかしい。2000年からうるま市でやっているわけがないではないか。うるま市自体が2005年に4つの地域を合併してできた新しい市だというのに。
島袋市長と言えば、9年前は県外移設を「はっきり宣言」していたはずだが、今年の辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票で、7,000人近いうるま市民の署名が集まっているにもかかわらず、「県民投票実施しない宣言」をした、あの市長である。
2016年の元海兵隊員によるうるま市女性殺害事件以降も、市長みずからが海兵隊の基地のなかに高校生を連れこみ、軍服姿の米兵から英語授業をうけさせる。
教育にミリタリーとシビリアンの線引きするのは常識だ。民間団体ならともかく、市が米海兵隊基地内で軍服の米兵による英会話教室を公募するとか、すでに何重にも教育の文民性を侵害している。
護衛艦「いずも」を空母化して米「海兵隊」に先行提供、その意味、政府は国民に説明しましたか - 国民が知らないうちに米海兵隊と一体化された自衛隊
( 2 ) 名護市教育委員会委託団体が基地司令官呼んで海兵隊「全力サポート」!?
お次はあのデマの暴風と呼ばれた名護市長選で自民党擁立候補が市長に選ばれた名護市の場合だ。
ここでも「中学生の英語体験学習を海兵隊が全力サポート」だという。
むろん、米兵が個人としてボランティアに参加するのは常識であり、沖縄は地元外国人も多く英会話学習にさほど困らない環境であるのに、なぜ海兵隊に英語学習の現場にを依存しなければいけないのか。
海兵隊によると、名護市の場合はこうである。名護市教育委員会から「英語教育開発機構」なる団体が委託を受ける。それを「米海兵隊が全力サポート」として広報にのせる、という手順である。
中学生の英語体験学習を海兵隊が全力サポート
名護青少年の家 -- 今年で7回目を数える名護市の中学生のための英語体験学習が名護青少年の家で開催されました。名護市教育委員会から委託を受けた英語教育開発機構が中心となり、市内の各中学校から24人の中学生が参加しました。
この英語体験学習をサポートするために米海兵隊基地キャンプ・シュワブ基地司令官のジェイソン・ペリー大佐や海兵隊員、隊員らの家族や日本人ボランティアも大勢参加し、にぎやかに日米交流プログラムが始まりました。
ペリー基地司令官は「私も最初は日本語を全くじゃべれませんでしたが、“七転び八起き”の精神で、いろいろな失敗を繰り返し日本語を覚えました。みなさんも失敗を恐れずに英語を覚えてください」と流ちょうな日本語で中学生たちに話しかけていました。
名護市教育委員会の千葉先生は「子どもたちがアメリカ人と接することで、コミュニケーション能力を伸ばしてほしいですね」と述べていました。
午前中は、中学生たちの緊張をほぐす目的で、5つに分けたグループごとでの自己紹介、伝言ゲームや連想ゲームなど遊びを交えたプログラムで互いの距離を縮めました。
名護市教育委員会千葉先生の言葉「子どもたちがアメリカ人と接することで、コミュニケーション能力を伸ばしてほしい」という言葉にも注意したい。
アメリカの中学生でもなく、名護市教育委員会がここで語る「アメリカ人」とは誰なのか。ここでは明らかに「アメリカ軍兵士」を指している。
なぜ中学生の「コミュニケーション能力」を伸ばすために、海兵隊キャンプシュワブの基地司令官以下がずらりと揃う必要があるのかということだ。
むろん個人としての兵士のボランティアは一般的なことでもあり、また海兵隊では SMP (Single Marine Project) で福利厚生の旅行やBBQなどのリクリエーションとセットでビーチの清掃活動などがおこなわれている。個人でボランティア参加に問題はないが、
米海兵隊の公式 HP にあるように、米軍基地キャンプシュワブの司令官と名護市教育委員会の面々がそろっての中学生「英語体験学習」企画となると、話は全く異なる。
米海兵隊がいうところの名護市教育委員会から委託を受けた「英語教育開発機構」とは、いかなる団体なのか、教育委員会の公式 HP を見ても載ってないように思う。さらに明らかにしていく必要があるだろう。
なぜ公的教育と軍隊を分ける必要があるのか
教育現場に軍服を介在させない、それは公的教育とシビリアンコントロールの基本である。
沖縄戦の一つの特徴は、14歳からの子どもを兵士として戦場に送りだし、最も人命を軽視した切り込み隊や斥候に子どもたちを利用し、半数以上の学徒が戦死した。学徒の戦死者率は、学徒兵の引率をした教師のそれよりも高いのだ。また開南中学などの学校では死亡率があまりに高く、戦後、学校自体がなくなった。また犠牲になった学生の数もいまだ不明となっている。
『戦禍を掘る・学徒動員』< 資料添付 > - Battle of Okinawa
校長自らが軍服姿で学校に来る。軍人が各学校に配属される。そうして、教育現場が徐々に軍事化される。軍服の校長らは戦場におもむくことなく、結局生きて本土に帰る。学徒兵を引率する教師たちもどこかの時点で投稿する。学徒たちは疑うことなく純粋に前線にとどまり続け過酷な状況で戦い続けることになる。学徒らがやっとの思いで生きのびて収容所に連れていかれると心底驚くことになる、戦中はさんざん威張っていた教師や警察署長ら「賢い」大人たちは、変わり身も早く、米軍の下で重用されて威張っている。学徒隊は最後の最後まで捨て石にされた。
その歴史を何ら検証もせず教訓として持たず、今また市長が子どもたちを引き連れて基地内の軍服組と一緒に授業を開催するなど、言語道断だ。
政治的中立性の維持に努めるべき教育現場に、「英語教育」という名目で軍服や司令官を登場させるなど、教育基本法にも反する教育の政治利用でしかない。
battle-of-okinawa.hatenablog.com
battle-of-okinawa.hatenablog.com
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■