明けましておめでとうございます - 世代を超え海を渡る希望について - 2019年1月1日
沖縄に向かう洋上のオーウェン号で赤ちゃん豚がうまれた。
あけましておめでとうございます。
新春からなんですが、
昨年一年をふりかえると、選挙での勝利の喜びもあったはずだが、どうも、苦しみや悲しみや、つらいことばかりが思い浮かぶ。
でもそんな時、
沖縄はじつは決してひとりではないということも、忘れてはいけないのだろう。
今回も、強行される工事に苦しみもがく故郷のため、見るに見かねて動き出したハワイ在住の一人の青年がいた。
世界に辺野古のことを知ってもらいたい、なんとか止めたい。
ハワイのうちなんちゅ四世の音楽家、ロブ・カジワラさんが始めた署名が、世界で支持され、日本の芸能人の人たちの賛同も集め、なんと16万筆もあつまっている。
なんという鮮やかさ !
そして今月の7日には、ホワイトハウスでトランプ氏への直訴集会を開くという。
16万突破!世界で広がる反辺野古基地への連帯——ホワイトハウス請願署名始めたロバート梶原氏を直撃 | BUSINESS INSIDER JAPAN
梶原氏は母方が沖縄県中城(なかぐすく)村出身の日系4世で、子どもの頃から祖父母から沖縄の文化と歴史を聞き、自分のアイデンティティの一つと考えるようになった。辺野古にも何度も訪れ、ウチナーグチ(沖縄の方言)も話す。
梶原氏はまた、辺野古基地建設反対を訴えるため「沖縄と結束しよう」と、12月18日に各地の日本国総領事館前に集まることをYouTubeで呼びかけた。この結果、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル、ホノルルなど、全米各地で集会が開かれている。
ぜひ皆さんの周りにもう一度お声を ! やり方は簡単です。
71年前にも、
いくさでずたずたに切り裂かれた故郷のため、何かできるとたちあがった7人のハワイアンうちなーんちゅがいた。
550頭の豚をオレゴンから沖縄まで運んだ七人の男たちだ。
ハワイの7勇士とともに海を渡った550頭の豚―「ハワイと日本、人々の歴史」
第1回目は、戦後の荒廃しきった沖縄に、550頭の豚と救援物資を贈ったオキナワン(沖縄系アメリカ人の総称)、「ハワイの7勇士」についてご紹介したいと思います。
第2次大戦後、激戦地となった沖縄は、全人口の4分の1もの人々が亡くなり、荒廃をきわめました。もちろん亡くなったのは人だけではありません。沖縄の人々の生活に深く根付き、沖縄料理の主要食材でもある豚も、その数が激減しました。戦前は10万頭もいた豚も、数えられるほどまでに減少。それを聞きつけたのが、ハワイの沖縄系移民の人々です。
彼らはさっそく「沖縄救済会」を結成し、募金運動を始めました。「故郷に豚をおくりましょう」と、メロディーに乗せた曲「ウルマ・メロディー」を作り、毎日ラジオで募金を呼びかけたそうです。
祖先のふるさと、沖縄を助けようと、集まった募金総額はなんと5万ドル。現在の価値に置き換えると約50万ドル(約5千万円)にもなります。この資金を使い、ネブラスカ州のオマハで550頭の豚を買い付け、オレゴン州ポートランドを経由し、船で沖縄まで運ぶことになりました。
沖縄まで生きて豚を輸送しなければならないので、豚の扱いになれた7名のオキナワンが選ばれ、同行することになりました。これが、ハワイの7勇士なのです。7勇士こと仲間牛吉、山城義雄、宮里昌平、渡名喜元美、上江洲易男、島袋真栄、安慶名良信の各氏は、軍用船オーウェン号に乗り込み、1948年8月31日にポートランドを出航しました。航海は厳しく、嵐で2頭の豚を失いながらも、9月に無事に沖縄に上陸。豚は抽選で沖縄県内全域に平等に分配されました。これにより、沖縄の人々の栄養状態は劇的に改善を見せたと言われています。7勇士は、この事業の成功について、ことさら吹聴することもなかったため、ハワイでもこの話が皆に広く知られることはありませんでした。
この出来事は「海から豚がやってきた」という題名のミュージカルにもなりました。沖縄で演じられていたミュージカルは、2005年にはホノルル市内の、ニール・ブレイズデル・コンサートホールで、ハワイ公演を行い、多数の人々が足を運びました。
また、沖縄出身の音楽グループ「BEGIN(ビギン)」は、この出来事をテーマに、「ウルマメロディー」という楽曲を作りました。BEGINは、感謝の気持ちをこめ「音がえし(おんがえし)」として、550本の楽器(三線、パーランクー、大太鼓、一五一会など)をハワイに贈る活動を行っています。
そして、
それから70年目の、昨年9月27日、
うちなー三世のハワイ州知事、デービッド・イゲ知事は、その日を "Pigs from the Sea Day" 「海を渡った豚の日」と制定した。
ハワイ「海から豚」の日 記念日に 県人との絆 語り継ぐ イゲ州知事制定
70年前の9月27日、戦争で焦土と化した故郷沖縄の再生を願い、ハワイ県系人が贈った550頭の豚が沖縄に届いた。
太平洋をまたぎ、ゆいまーるの精神で支え合ったウチナーンチュ。県系3世のデービッド・イゲ米ハワイ州知事は、その絆を後世へ語り継ごうと、同日付で「海を渡った豚の日」を制定した。
(註: デービッド・ユタカ・イゲ(David Yutaka Ige 伊藝 1957 - ) (民主党) 1994~2014年ハワイ州議会上院議員、2014年~ 第8代ハワイ州知事。ジョージ・アリヨシに次ぐ2番目の日系人。沖縄にルーツを持つ知事としては初。Wikipedia )
市史だより136 (「広報いとまん」 平成14年5月号)太平洋を渡った豚たち | 糸満市
礼をかけた左から4人目の男性が真栄里出身の嘉数亀助氏。金融会社を営みハワイのウチナーンチュの指導者的存在であった嘉数は、沖縄を復興させるには食糧支援も大切だが、産業の復興、特に養豚業の復興も重要であるとして、豚を沖縄に贈ることを提案。輸送船の手配や船に乗る人選にも大きく関わった。
沖縄戦で傷つけられ殺されていったのは人間だけじゃない。沖縄の豚 たちもそうだった。
そして多くの先祖が飢えと病で亡くなった。
今回の正月特集のため、米軍が記録した写真の中に沖縄戦を生きのびた住民と黒豚二頭を映した写真があったはずなのだが、見つけることができなかった。また見つけたらここに張っておく。
あれから74年。
今では
豚を腹いっぱい食える。
そして、1980年代には30匹ほどに減った沖縄のアグーも、今は押しも押されぬ沖縄ブランドとなった。
なんくる農場の黒豚の赤ちゃん
歴史を学ぶとき、
歴史から勇気をもらう。
そして我々は一人ではないと確信する。
なにか、
手立てがあるはずだ。
なにかもっと出来ることがあるはずだ。
そう信じて、
明日を見つめ、
気持ちを新たにしたい。
本年も
よろしくお願いいたします。
Remembering the Pigs from the Sea | Hawaii Public Radio
A pair of pigs catch their footing aboard the USS Owen. These were just a couple of the 536 pigs that were delivered to Okinawa in September 1948 as part of a World War II recovery effort spearheaded by the local Okinawan community here in Hawai'i.
Piglets were born aboard the USS Owen while en route to Okinawa.
オーウェン号の沖縄への航路の途中に子豚たちも生まれた。
The pig shipment was the first of many recovery efforts made by the local Okinawa community to help family and friends in need back in Okinawa.
One of the donated pigs settles into his new sty in Okinawa.