これからを生きる子供たちのために - 辺野古:88歳島袋おばあ 東京で移設強行「反対」訴え

海を埋め尽くすほどの軍艦から艦砲射撃を受け、火炎放射器に焼かれ、地上戦で町も村も田も畑も山も全てが焼き尽くされた沖縄。

 

あの、地獄を生き抜いた人がいたからこそ、今の沖縄県民がいる。

 

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現在の私達は、皆生き残りの子孫。

 

九州に疎開し、地上戦の難を逃れた県民もいた。

しかし彼らも、戦後沖縄に引き上げ、焼け野原となった故郷、フェンスで覆われ入る事の出来なくなった故郷、

 

それでもそこから必死に生きてきたんだ。

 

内地でも空襲があり、広島長崎の原爆、そこにも、地をはうようにして生き抜いた人達がいた。

 

現在の私達は、

みな生き残りの子孫。

 

戦後日本は民主主義国家になった。

 沖縄をアメリカに差し出して。

 

アメリカ世、異民族支配の重圧、何か事が起これば、アメリカの都合のいいようにことが運ぶ、

主権在民では無く見せかけの民主主義。

 

どんな時代も、辛く悲しかった時。

 

殺されてしまった先人達、国は、何千何万もの命を戦 (イクサ) に差し出した。

 

その中を、生きて生きぬいて

命を繋いだ先人達よ、ありがとう。

 

あなた達に生かされ、今の私達がある。

 

その記憶のなかから絞り出す言葉は、殺されてしまった先人の代弁でもある。

 

だからこそ私たちは、

しっかりと受け止めなければならない。

 

二度と過ちを繰り返さないように、子孫である私達が国を見張らなければならない。

 

ポツダム宣言で日本は「民主主義国家になる」と宣言された。

 

そして、戦後72年がたった。

 

原発事故を揉み消し、国民を危険に晒しながらの再稼働、

主権者国民を弾圧し強行される米軍基地建設工事、

はたして、日本は本当に民主主義国家なのか?

 

今を生きる生き残りの子孫である私たちは、

目を見開いて時代の生き証人となり、

声をだし、揺るぎなく座り込まなければならない。

 

殺された先人達、生き抜いた先人達、これから生きていく子供達のために。

 

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辺野古:88歳島袋おばあ 東京で移設強行「反対」訴え

毎日新聞

 

米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動を長年続けている島袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした。

 

 市民団体でつくる実行委員会が主催。参院議員会館の講堂で開いた講演会は、実行委によると約500人が参加した。

 

 島袋さんは沖縄本島南部の糸満出身。1945年4月に本格的な地上戦が始まると、目が不自由だった母、小学生の弟と逃げ回り、自身は米軍の火炎放射器で左半身に大やけどを負った。3人は生き残ることはできたが、「鉄の暴風」下の逃避行で、住民の凄惨(せいさん)な遺体を至る所で目撃した。

 

 戦後に結婚した夫と移り住んだ辺野古への移設計画が浮上すると、反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続けている。

 

 講演で島袋さんは、時折声を詰まらせながら、遺体が浮かんだ池の水を飲むなどした沖縄戦での体験を振り返り「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判。「(抗議活動中に)機動隊にゴボウ抜きに(排除)され、工事車両がゲート内に入っていくのを見ると涙が出るほど悔しいが諦めるわけにはいかない。本土の皆さん、力を貸してください」と呼びかけた。

【斎藤良太】

 

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mainichi.jp