なぜ沖縄は非可視化されるのか - 慰霊の日の翌日に公開された映画「ハクソー・リッジ」、沖縄が一切語られない理由とは
「沖縄の表記を前面に出していないのは、沖縄の方への配慮。舞台が沖縄であることにフォーカスして宣伝することで、観た後に複雑な思いを抱く人もいるのではないかと考えた」(キノフィルムズ担当者)
公開前日の6月23日が沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」だったことにも留意したという。「タイミング的にも、変に煽るようなイメージにはしたくなかった。全国的にうたうのは避けた」。
一切の沖縄の表記を避けたのは、
主人公の宗教的非戦主義を強調するためでもなく、
「沖縄の方への配慮」などからではないだろう。
「オキナワ」「戦争」「米軍」・・・
となると、お次に連想されるものは何か。
それこそが、この「配慮」の対象であり、
表に出したくない地平にちがいない。
沖縄の基地問題と安倍政権
沖縄を本土から「非可視化」するために、
実話だと名打っておきながら
沖縄を「見えない存在」にするがために
この実話映画は、地上の座標を失い、
いかにも不自然な虚構世界を漂うことになる。
なぜ沖縄は非可視化されるのか
日々配信されるニュースから、
新作ハリウッド映画に至るまで。
なせここまで沖縄は情報のブラックホールに落とし込まれているのだろうか。
情報が制限され、非可視化することで、
ニュース女子のようなデマやヘイトが流通する。
安倍政権の、高江オスプレイヘリパットや辺野古新基地建設の強行は、国民の情報を誓言し、沖縄ヘイトを醸し、デマを拡散させることなしには、不可能だという事。
つまり、
安倍政権の沖縄政策は、
沖縄ヘイトと両輪で進行してきたのだ。
この映画の中で描かれる、「戦争史上、最も熾烈な接近戦」とは、前田高地の激闘のこと。
ハクソー・リッジの不採用シーンでは沖縄はほとんど戦争したことない国だということがきちんと説明されていた。こういう形であっても世界の人が観ることができるのは有難い。https://t.co/TcR3xiGI7O
— 廣瀬 健 (@hirokenP3) 2017年7月3日
この映画公開の情報を受け、
浦添市では前田高地の闘いのページを制作しています。
当不安クラブの沖縄戦シリーズでもご覧になれます。