72年前のきょう 1945年5月27日 「さらば、首里よ」

72年前のきょう 1945年5月27日 「さらば、首里よ」

 

72年前の今日、首里城の地下に潜んでいた第32軍司令部将兵や学徒の大半が、

古都首里と、首里城趾に別れを告げ、沖縄本島南部へと下がっていった。

そのため、軍と一緒なら安全だと考えてあとを追った住民たちや、

もともと本島南部に住んでいた住民たちが、

「軍官民共生共死」というスローガンの真の意味を、もっとも最悪な形で知ることになる。

 

『われわれは沖縄に来て、〔日本の〕戦争の内面を発見した。最初に殺された人は、いちばん力が弱く、内気で温和な、静かな人たちだった。日本兵は沖縄にやってきた時、「われわれは皆を守るためにここにやってきた。したがって、われわれのいうとおりにやれ」と島民にいった。日本兵は、誰のための防御をあきらめ、誰を殺したのか。彼らは、守ると約束したその人たちを殺したのだ。 丸木俊ヒロシマ」』(272頁)

《「天王山 沖縄戦原子爆弾(下)」(ジョージ・ファイファー著/小城正・訳/早川書房) 272頁より》

 

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http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/picture/style/img/detail14_img.jpg

沖縄戦の絵】「てんぷらのように見えた死体」

『…5月下旬那覇市の真玉橋のたもとの光景。降り続く梅雨の雨でどろどろになった道に、折り重なるように倒れている死体の山。南に逃げようとして犠牲になった住民たちだった。米軍の激しい砲弾はその上にも容赦なく降り注いだ。雨でぬかるんだ泥に折り重なった死体は、まるで人間のてんぷらのようだったという。』

てんぷらのように見えた死体 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局