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辺野古、今も放置されたまま調査も許されぬ犠牲者の遺骨の上にさらに軍事基地を作るという醜業

沖縄戦を生きのびた三十万人の県民は、米軍がにわか作りした収容所に収容された。その劣悪な収容所生活の状況下でおびただしい県民の命が奪われた。

最も劣悪だった収容所の一つ、それが辺野古・大浦湾にあった大浦崎収容所だ。

基地として接収されたキャンプシュワブ内とその浜辺には、そこに収容され、苦しみぬいて亡くなった多くの人々の遺骨が今も眠っている。しかしその数も、埋葬場所も、その歴史状況も不明なのは、そこが米軍基地として接収されているからだ。

多くの命が、多くの真実が、多くの歴史が、米軍基地によって埋められ、隠されてきた。

昨年、名護市は、米軍キャンプ・シュワブ内にあった大浦崎収容所埋葬地を調査するよう県に依頼している。

調査もしないまま、弔いもうけぬまま、遺骨の上にさらなる盛り土を重ね、さらなる戦争のための巨大基地を作ろうとしている。

辺野古の新基地建設は、

そういう恥ずべき人類の醜業なのだ。

 

読谷村史 「戦時記録」下巻 第四章 米軍上陸後の収容所

大浦崎収容所

画像

 

 キャンプ シュワブ 遺骨 に対する画像結果

 

米軍基地内に今も放置される何百人もの沖縄県民の遺体|政治|ニュース|日刊ゲンダイDIGITAL

2015年9月10日


  私が思わず身震いしたのは、その約30万人の収容者のうち10万人は、辺野古周辺の3つの収容所に入れられ、そのひとつである「大浦崎収容所」は現在の海兵隊基地キャンプ・シュワブの敷地内にあったという話である。そこでの生活を体験した人たちは「米軍トラックに乗せられて着いた先は収容所とは名ばかりの何もない草地で、テントは2、3日後に届いた。マラリアで毎日のように死者が出た」(84歳男性)、「1日1個だけ配られるおにぎりのために炎天下、長蛇の列に並んだ。小さい子はいつも下痢をしていた」(81歳女性)、「死者数が多すぎて、収容所内の墓地では複数の遺体を1つの穴に埋葬していた」(74歳男性)などと証言している。

 

 毎日何人も出る死者を、米兵は恐らく無造作に穴に放り込んで埋め、その数は辺野古周辺の3カ所で842人とする、今回の共同通信調査とは別の記録もあるという。やがて1956年に海兵隊が岐阜、山梨から沖縄に移ってきてキャンプ・シュワブの拠点を築いた。

 

私は取材で同基地内に入ったことがあるが、美しい芝生に囲まれた将校住宅の先には立派なスーパーや映画館、体育館もある。海兵隊員にとって天国のような場所で、その下に誰に弔われることもなく何百人もの収容者の遺体が70年間も放置されているとは想像もつかなかった。

 沖縄戦の遺骨収集ボランティアを続けている具志堅隆松さんは前々から、大浦崎収容所の埋葬地の位置確定と遺骨収集のための発掘を求めて闘っている。そのためにも、辺野古基地の大拡張と半永久化は即時中止して、海兵隊には出て行ってもらわなければならない。

 

辺野古基地移設を抗議する反対派(C)日刊ゲンダイ

 

琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » 戦後70年 遠ざかる記憶 近づく足音 辺野古大浦崎収容所で生まれた医師

渡久地昇永さん「ここで生きる生活ができるのかなと思ったんですよ。」

沖縄戦の組織的戦闘が終わった6月23日以降も、およそ5か月間にわたり捕虜生活は続き、深刻な食糧不足と恐ろしい熱病マラリアに襲われ、1日4〜5人の死者を出すこともあったといいます。

渡久地昇永さん「死体をね、箱に入れるんでもないよ。山から竹を切ってきて、それを編んでこれの上に乗せて、4人でかついでいったんです。(土にそのまま)埋めるんですよ。」

 

地上戦を生き抜いたにもかかわらず、大浦崎収容所で、無念にも命を奪われていった人たちの遺骨収集は未だ、行われていません。

仕事の合間を見つけては、うるま市からゲート前に座り込みに通い続ける平安山さんは、この日、趣味のオカリナを演奏しました。沖縄戦から70年・・・多くの犠牲者たちが眠る「ふるさと」に、新たな戦争のための基地が造られようとしていること。それは平安山さんにとって、どうしても耐えられないのだといいます。

 

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平安山英盛さん「医者として人殺しにつながるような基地を絶対に造ってはいけない。亡くなった人たちの意思を思うと、ここに基地が造られるのは無念の気持ちで見ていると思う。そういう人たちに代わって、僕らが阻止しないといけないと、こういう風に思っています。」

平安山さんの言葉は、命と向き合ってきた重さを感じます。

 

「戦争の犠牲者の遺骨の上に、新たな戦死者を生む基地を造るな! これ以上の死者への冒涜はない!」 - チョイさんの沖縄日記

辺野古ダムの下流、美謝川沿いに大浦崎収容所があったことが記されている。ここに、伊江島今帰仁、本部の人たちが収容されたという。「今帰仁区域の墓地は、今では米軍の水陸両用装甲車が出入りする大浦湾に面した砂浜近くにあったという。」(沖縄タイムス 2014.9.11 「シュワブに残る人の営み」)と言われているが、この砂浜は、今回、浮桟橋が設置されたところで、防衛局が陸上部でのボーリング調査を実施したところだ。

 

 

沖縄県史第9巻』には次のような記載がある。

「久志村の強制的移動地域は、山の中に指定されて、木の葉などで仮小屋を作って、地べたに寝ていた様子を、委しく大勢の人たちが語っている。住も悲惨だが、それよりも酷なのは食糧である。青いものは全部食べ尽くして、浜辺に打ち寄せられたホンダワラなども、朝早く行かないとほかの人が取ってない。味付けは海の塩水、田圃にある浮草の類もすっかり取りつくして、ヨモギの葉、桑の葉みたいな食べやすいものは、何処に行ってもむしりとられて無かった。それで老人と幼児は栄養失調で死ぬ、戦争では助かったのに、この強制的移動の戦犯行為では、マラリヤも流行して、一日に1部落で30人ぐらい死ぬという様子を多くの人が語っている。

 

 このアメリカの強制的移動戦犯行為は、理解に苦しむ。現在軍用地の辺野古岬から13号線までの間には、本部や今帰仁の人たちも強制的移動をさせられていたそうであるが、赤土の禿げた地べたに収容されて、あの広い不毛の地は死人を埋めた土饅頭で埋め尽くされていたという。」(P54)

 

 新聞報道にあった具志堅さんのコメントが忘れられない。「戦争の犠牲者の遺骨の上に、新たな戦死者を生む基地を造る。これ以上の死者への冒涜はない!」

 

戦死者の上に軍事基地を作ることは冒とく 具志堅隆松さんが明治学院大で講演 : 社会 : クリスチャントゥデイ

2017年5月16日18時25分

「行政は注意をしながら工事をすると言っているが、そういう問題ではない。戦死者の上に軍事基地を作ることは、死者に対する冒とくだ」

戦死者の上に軍事基地を作ることは冒とく 具志堅隆松さんが明治学院大で講演 

公開講演会「戦没者遺骨収集と辺野古新基地建設問題」(明治学院大学キリスト教研究所主催)沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん。

 

ospreyfuanclub.hatenablog.com