Osprey Fuan Club

沖縄に関するフェイクを独自検証し、デマを糾弾するブログメディア

今日はこどもの日 ー 大声で泣けなかった、こどもでいることさえ許されなかった沖縄のこどもたちのこと。

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今日はこどもの日。

 

あちらこちらで、連休を楽しむ子どもたちがいる。

子どもらが大声で笑ったり、泣いたり、怒ったり、駄々をこねたり、

 

そんな子どもたちの元気な姿をみながら

平和を思う。

 

沖縄に戦争が来たとき、そしてその後、多くの「子どもたち」が、笑ったり、泣いたり、怒ったり、駄々をこねたりすることなく、

 

歳を重ねて親になり、祖父母になることもなく、

 

子どものまま、この世を去った。

 

彼らのその短かすぎた人生は、

つらい日々の連続だった。

 

食べ物も乏しく、遊びまわることもできず、

 

そして何よりも、

「子ども」でいることさえ許されなかった。

 

ある子どもは、

壕の中で泣いたために、その幼い命を失った。

 

ある子どもは、

米軍の放った爆弾で、その幼い命を失った。

 

ある子どもは、

集団自決をきめていた親や親戚とともに、その幼い命を失った。

 

ある子どもは、

「立派な大人」として戦場に出され、最前線で戦って、その幼い命を失った。

 

ある子どもは、

戦争で親を亡くし、米軍が設けた孤児院で、飢え、病気、負った怪我が原因で、その幼い命を失った。

 

だから沖縄では、子どもの泣き声を聞くと、「今日も平和な世の中なのだ」と再確認できる。

 

子どものなき声を迷惑だと考えている人たちにも伝えてほしい。

 

子どもの日の今日、子どものいる、孫のいる、ひ孫のいる人たちは、どうか「平和」の意味をみんなで共に考え伝えてほしい

 

そして、

 

「平和な世の中」というものを、知ることも、経験することもなく、この世を去った「子どもたち」がいたことを、忘れないであげてください。

 

「赤ちゃん、泣け泣け」BEGINライブに込めた思いが切ない

withnews(ウィズニュース)

2014年06月24日

 

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「BEGIN」ボーカルの比嘉栄昇さん=郭允撮影

 

「今はもう、泣いてもいい時代なんだから」

 

6月上旬、東京都福生市でのコンサート。アンコールの「涙(なだ)そうそう」で会場が静まりかえる中、赤ちゃんが突然泣き出した。「泣け泣け、と思いました。今はもう、泣いてもいい時代なんだから」
 太平洋戦争末期、沖縄は、米軍の激しい攻撃にさらされた。山中の洞窟や壕(ごう)に隠れた島の人たちは、敵に見つからないよう歌うことはもちろん、赤ん坊を泣かせることさえ禁じられた。

朝日新聞

 

youtu.be

朝日新聞那覇総局のTwitterが日付ごとに69年前の「その日」をつぶやき続けていましたTogetterまとめに全文。相当の覚悟がなければ読めない重すぎる証言集です。

朝日新聞那覇総局Twitterまとめ@Togetter

 

沖縄戦は6月だけ起きたわけではありません。69年前のきょう、何があったのか。出来る範囲でつぶやいていこうと思います。

 

 

 

 

「いま、僕たちは幸せに生きていますよ」

 

比嘉栄昇さん】「(赤ちゃんの)泣き声を聞くと、先人に少し恩返しができたのかな、と思う。あなた方のおかげで、いま僕たちは幸せに生きていますよ、と実感できます」
 01年から始めたのが「うたの日コンサート」だ。沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる6月23日は「慰霊の日」。その翌日を島に歌が帰ってきた日、「うたの日」と自分たちで決めた。

出典:朝日新聞デジタル

 

ほかにもこんな人たちが語っています

 

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知花くららさん 出典:朝日新聞

 【知花くららさん】1945年3月26日に祖父のふるさと、慶良間(けらま)諸島・慶留間(げるま)島に米軍が上陸。祖父は姉と2人、「自決」を決め、姉の首をしめた。祖父は当時15歳。自分の首は、ヤシの葉をヒモ代わりにしてしめ、木にくくりつけて首をつろうともした。でも2人とも死にきれなかった。米軍に捕まる前に死を選ばなければいけない――そう信じ込んでいた、と。
 (中略)命のつながりを初めて実感する思いでした。祖父が生き残ってくれたからこそ、わたしの親がいて、わたしがいる。沖縄では「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」とよくいうけれど、本当にそうなんだなと。

出典:朝日新聞デジタル わたしと沖縄戦 戦後69年(上)

 

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二階堂ふみさん 出典:朝日新聞

 

二階堂ふみさん】沖縄戦について伝えてくれる写真や物語は、目を伏せたくなるようなものがたくさんある。そうしたものを子どもには見せてはいけない、とフタをする風潮にわたしは異を唱えたい。知らないまま大人になることの方が危険だと思うんです。
 (中略)戦争中も、明日のご飯や、恋人のことを心配していた人がいたんです。いまと同じように。そうやってとらえて初めて、なぜ、戦争に突き進んでしまったのか、という大切なことが考えられると思う。

 出典:朝日新聞 わたしと沖縄戦 戦後69年(中)

 

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いっこく堂さん 出典:朝日新聞

 

いっこく堂さん】弟が泣くと、日本兵が言ったそうです。「うるさい、出ていけ」。もう生きていても仕方がない。そう思った母たちは壕を出て、あてもなく歩きました。山の中で葉っぱも、トカゲも、カエルもなんでも食べて飢えをしのいだ。母は幸運にも爆弾に当たらず、生き残りましたが、それでも3人の弟のうち、2人が栄養失調で死んでしまいました。沖縄に姉2人、兄2人が残っていましたが、沖縄戦マラリアにかかって2人が亡くなりました。
 幼いころは正直、母親らの話を遠い昔のこととしか聞いていませんでした。でも少しずつ、そうした話がとても大切なことなんだと気づくようになりました。

出典:朝日新聞 わたしと沖縄戦 戦後69年(下)

 

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THE BOOM 宮沢和史さん 出典:朝日新聞

 

 
THE BOOMの名曲「島唄」も沖縄戦の悲劇を描いた歌です。
宮沢和史さん】「島唄」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い(中略)激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。(中略)極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
 
資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。
 
「ウージの下」は畑の下にあったガマを指す。
 
 一方でためらいがあった。「自分が歌っていいのだろうか」。触れてはいけない壁のようなものを感じた。歌詞に、男女が出会い、そして別れる場面がある。本土の犠牲になって別れを余儀なくされた部分に沖縄音階をつけたくなかった。そこだけは普通の音階に戻した。見えない壁がそうさせた。(中略)励ましてくれたのが喜納さんだった。「音楽では魂までコピーしたら許される」
出典: 2005年8月22日付朝日新聞 (宮沢和史の旅する音楽:その1) たった1人のために

 

 

youtu.be

 

日本兵は、暗く暑い壕の中で泣きだす並里さんの幼い弟を、島の若い青年に殺すよう命じた。それでも、いくら日本兵に殴られても、防衛隊として徴用されていたその地元の青年は幼な子を殺すことはできなかった。同じ島の住人なのだ。暗闇で極限状態においつめられ、そして母が手をかけてしまった。

 

しかし、自分が日本兵に命じられたこと、幼な子を殺すことを拒んだせいで、若い母親が幼子に手をかけたのをみていた若い島の青年は、その後、他の壕では、傷ついた人はどんどん撃ち殺し、壕の中でも外でも殺していたといわれる。鬼だ、と噂されるようになっていた。そして数年前になくなったという。

 

戦争は、

こんなにも

一人一人の命を虫けらのように奪い、

一人一人の心を破砕してしまう。

 

幼い子供が必死で生きようとして抗った、その小さな体の全身の力を、母の体は死ぬまで生々しく記憶していたことだろう。決して語られない壕の中の出来事。

 

並里さんは、この封印した記憶を、あるとき小学校の子どもたちに語った。その時の子どもたちの瞳、涙を流しながら聞いた子供たちの瞳が、並里さんを動かした。

 

ご覧ください ⇩

 

battle-of-okinawa.hatenablog.com

 

「祖母が大変なものを見てきたんだと知りました。祖母があまり話したがらないことが、ものすごくリアルな感じがしたんです。それが戦争なんだと。

沖縄戦について伝えてくれる写真や物語は、目を伏せたくなるようなものがたくさんある。

「そうしたものを子供に見せてはいけない、とフタをする風潮にわたしは異を唱えたい。

「知らないまま大人になることのほうが、危険だと思う。

二階堂ふみさん