72年前、『沖縄守備軍』と言われた第32軍。
その司令官である牛島満陸軍中将を始めとする軍首脳らの態度には、呆れ果てる。
自身のプライドや栄光にしか興味がなく、人命などには関心がない。
沖縄の住民を守る『守備軍』ではなく、日本本土を守るための、いわば、「沖縄にいる、本土のための」守備軍だった。
米軍が沖縄本島に無血上陸して一カ月が経過したころ、
第32軍は、何度目かの「総攻撃」に出ることを決めた。
八原高級参謀の回顧録には、牛島満中将が総攻撃に関し、
『「もちろん玉砕攻撃である。吾輩も、最後には軍刀を振るって突撃する考えである」と言葉静かに申された。』と記述されている。
この陸軍中将が述べたとされる、この言葉。
中将まで上り詰めた人間の言葉なのか?と、呆れる。
今風に言えば、やるやる詐欺だ。
この「沖縄守備軍」司令官が人生最後にとった行動は、沖縄本島南部の摩文仁付近で自害したのであって、
『最後には軍刀を振るって突撃』など、しなかった。
3日後に控えた総攻撃。結局、失敗に終わるが、そのときでさえ、自ら「軍刀を振るって突撃」などせず、首里城地下の司令部壕にいたのである。
毎日、毎日、住民や部下が死んでいくにもかかわらず、ずっと地下壕にいた。
言葉だけは勇ましい。
戦争をしたがる人間とは、所詮、そのような人間だ。
それは、今も昔も変わらない。
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