Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

72年前のきょう 1945年4月30日 「海兵隊の南下」

1945年4月1日、米陸軍と共に沖縄島に上陸した米海兵隊

その後、沖縄島中部を横断し、中部東側海岸一帯を制圧した。

勝連半島沖に浮かぶ島々を制圧した米軍は、海兵隊だった。

さらに中部から北上し、本部半島を含む北部一帯を制圧したのも海兵隊だった。

上陸地点を南下し、日本軍の強い抵抗を受けていた米陸軍の部隊と交替するため、4月下旬、南下を命じられた。

『第6海兵師団の男たちは、「陸軍を助ける」ために南に向かうと聞いて、落胆の色をかくさなかった。これまでの20日間にわたる戦闘で、沖縄の大部分である436平方マイル(約1万平方キロ)を確保した海兵隊員たちにとって、沖縄戦は、もはや過去のものだった。師団は名護で休養をとっていた。第29海兵連隊・火器中隊のビル・ピアース一等兵は「俺たちにとって、沖縄戦は終わったも同然だった」と語った。沖縄北部の戦闘で、師団は戦死236名、負傷1601名、行方不明7名の損害をこうむっていたが、いまは武器の手入れをしたり、写真を撮ったり、寝たり、野球をしたりと、思い思いにくつろいでいた。自前の売春宿を開設した連隊すらあり、その料金は3円(約30セント)だった。彼らにとって最初の不吉な予兆は、夕食にステーキが出たことだった。これは出撃前に供される典型的な献立であり、朝食に新鮮な卵が出た時点で、兵士たちは戦場にふたたび投入されることを確信した。』

《「沖縄 シュガーローフの戦い 米海兵隊 地獄の7日間」(ジェームス・H・ハラス/猿渡青児・訳/光人社NF庫) 47-48頁より》

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