Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

72年前のきょう 1945年4月5日 「沖縄にできた米軍政府」

2017年4月5日

軍隊の仕事は戦争だ。

戦争の足かせ、邪魔になる民間人は、戦地から排除しなければいけない。

大陸などの陸続きの国なら、避難民となって国外に逃れることもできるだろう。

でも、沖縄では小さな島々に人が住んでいる。それらの島々から大勢の人びとを疎開させるとなると、相当な輸送船と輸送航空機が必要になる。

日本国は、きちんと対応しなかった。住民は疎開を命じられても、小さな子どもや老人、婦人だけの疎開など決心できなかった。また、行ったことも、見たこともない日本本土や台湾への疎開など、できるはずがなかった。

それよりも、沖縄には強い日本軍がいるのだからと安心していた。

米軍は、沖縄島とその周辺の島々に置かれた日本軍を叩くためには、沖縄で地上戦を展開しないといけない。

そのためには、住民を前線から排除しなければいけないと理解していた。

米軍は沖縄島上陸後から数日に見つけた住民を柵の中に閉じ込めた。そこで隔離した。まるで、家畜のような扱いだが。

その後、米軍は本島中部の村落に続々と収容所を開設する。

あちこちの村落で柵の中に入れられていた住民は、米軍のトラックに乗せられて、収容所での生活を始めた。

最初の数日で捕虜となった住民は、その後に沖縄各地で繰り広げられた地獄のような地上戦を経験することなく、終戦を迎えることができた。

しかし、青い目の「鬼畜米英」を恐るあまり、自決を選んだ人びとが多くいたし、

「強い日本軍と一緒なら安全だ」と考えた人びとは、日本軍の後を追って南へと向かった。

陸続きでない沖縄で海岸まで追いつめられたら、残された選択肢は少ない。鬼畜米英の捕虜になるか、その場で自決するか、海へ身を投げるかのどちらかだ。

そんな自国民の結末を想像することもできなかった大日本帝国

国民を洗脳するような国家は、美しくない。

国民を犠牲にしたり、敵国に差し出すような国家が美しいわけがない。

米軍が上陸してから「アメリカ世(ゆ)」が始まった。

72年前も、現在も、日本国は自国民に犠牲を強いて米国に差し出す。

今でもアメリカ世は続いている。

neverforget1945.hatenablog.com

http://www.47news.jp/47topics/images/TR2015090500243.jpg

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