大田昌秀元県知事、ノーベル平和賞にノミネート !

2017年4月3日

大田昌秀さん (元沖縄県知事) に、ノーベル平和賞を!

沖縄戦の「鉄血勤皇隊」、つまり少年兵だった太田さんは、詳細な米軍資料をリソースに詳細な沖縄戦の歴史を掘りおこしていった。歴史学者としても、研究者としても、そして政治家としても、この人なくして戦後の沖縄は語れない。

沖縄の平和への熱い想いと闘いを、全世界に発信するため!

ぜひ元沖縄県知事に、ノーベル平和賞を!

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2017/04/03 19:22 RBCニュース

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ノーベル平和賞に大田元知事がノミネート

 元県知事の大田昌秀さんがことしのノーベル平和賞の候補にノミネートされたとして関係団体が会見し、沖縄から広く平和を発信していきたいと訴えました。

 会見したのは「平和の礎のマブイにノーベル平和賞を」実行委員会のメンバーら10人です。
 委員会は主に「平和の礎」の建立に関わった人々や沖縄戦体験者にノーベル平和賞を贈りたいとノルウェーノーベル平和賞委員会に推薦状を送るなどしていましたが、対象者が漠然としているなどとしてこれまで棄却されていました。

 その後、ことし1月に臨時総会を開き、鉄血勤皇隊として沖縄戦を体験し、平和研究者としても活動する大田昌秀元県知事を県民の代表して選出したということです。

 委員会がアメリカやオーストラリア、中国の大学教授ら13人の推薦状を送ったところ、ノーベル平和賞委員会に正式に受理され、先月上旬にノミネートの通知を受けたということです。

 ノーベル平和賞の発表はことし10月に予定されていて、委員会は今後も大田氏のノーベル賞受賞に向け学習会を開くなどして広く平和を発信し続けたいとしています。

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現知事の三代前の沖縄県知事。
1990年12月10日ー1998年12月9日 県政を担う。

経歴 (Wikipediaより抜粋)

母校の小学校の用務員などを経て沖縄師範学校に進学、在学中の1945年3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う。

敗戦後、米軍捕虜となり、軍施設で働きながら、日本とアメリカの留学試験に合格し、早稲田大学教育学部へ進学。在学中に英語部(WESA)を創立する。在学中に渡米し、シラキュース大学に留学、帰国後、琉球大学学長秘書となり、琉大タイムスを発刊する。

琉球大学教授時代はメディア社会学を専攻し、新聞研究・報道研究等に従事。また、沖縄戦の歴史的研究にも取り組み、『総史沖縄戦』(1982年、岩波書店)をはじめとする著作を刊行した。

沖縄県知事在職中には沖縄における米軍基地問題に取り組み、第2期目から反軍反戦反基地姿勢を明確にした。

1995年、当時政府内にあった東アジア戦略報告に疑問を抱き、軍用地の代理署名を拒否した。また直前に起きた米兵の少女暴行事件と合わさり、大きな注目を浴びた。

1996年の普天間基地移設問題では沖縄の過度の負担から県外移設を強硬に主張。移転先自治体として名護市が自治体に浮上した際には「県としては(直接的な当事者である)地元名護市の意向を尊重する」と首相官邸に述べていた。

「県外移設」が本音の大田のこの発言は、過度の基地負担が集中する沖縄県全体で基地反対ムードがあったことで実現可能性が皆無という自信から出た発言であると見られる。

1998年沖縄県知事選挙に立候補をしたが、稲嶺恵一に敗れ落選。

2007年夏政界を引退した。後継は元読谷村長・沖縄県出納長の山内徳信

沖縄国際平和研究所の理事長としての働きについてはこちらから

沖縄国際平和研究所

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