72年前のきょう 1945年4月2日 「南北に分断された沖縄島」
2017年4月2日
72年前の今日、読谷村にあるチビチリガマに避難していた住民約140人のうち、83人が集団自決でこの世を去った。
ガマの外にいる米軍は「デテコイ」と言っている。
食べ物を置いていったが、毒が盛られているかもしれない。
「鬼畜米英」など信じられるものか!
捕まったら、生き地獄を味わう。
ならば、『神』である天皇に恥じないよう、臣下として命を投げうったほうがいい。
「天皇陛下万歳!」と叫びながら、あの世へ行こう。
そう考えた住民らは、ガマの中で布団に火をつけた男性をただ眺めていた。
でも、小さな子どもを持つ母親らが、これに猛反発した。
数年前に真の神から授かった小さな命。
激痛を伴いながら、数年前に産んだ子ども。つい数ヶ月前に産んだ子ども。
真の神から託されたその小さな命を「現人神」のために殺めてなるものか!
母親らの本能が集団自決を阻止した。前日の1日は。
でも翌2日になると、やはり「鬼畜米英」を恐れる住民らが宝であるはずの命を絶つ。
ある母親は死を嘆願する娘の首筋を切りつけ、看護師だったある女性は、毒が入った注射で親族らを殺めた。
そして、ある男性がまた布団に火をつけ、ガマの中は炎と煙が充満する。
ガマの中には、約140人がいたが、命を護ることができたのは50人余。
あまりに悲惨な経験をした生存者らは、長い間、口を閉ざしていた。
チビチリガマでの集団自決が世間に知られるようになったのは、1983年。
つらい体験を語るには、実に38年の歳月が必要だった。
脳裏に焼きついて離れない地獄絵図。
忘れたくても、忘れられない。
1945年4月2日にあったこと。
今から72年前の今日のこと。
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