Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

72年前のきょう 1945年4月1日 「米軍、沖縄島に上陸」

2017年4月1日

キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを始めて、今日で1000日。

米軍が嘉手納基地を占領するようになって、今日で72年。

そう。

米軍が沖縄島に足を踏み入れ、西太平洋における米国の「不沈空母」として基地を整備・建設し始めて、今日で72年になる。

そして、沖縄島の上空では今日も、嘉手納基地から飛びたった戦闘機が飛行訓練をしていた。

72年前の今日、米軍が沖縄島に上陸した。

6万という数の兵士が上陸してくる前には、3時間ものあいだ艦砲射撃と空爆が続いた。その3時間だけで、10万発の砲弾が撃ち込まれた。

3時間で10万発。

それは、沖縄島の地形を変えるほどの威力だった。

珊瑚礁が隆起してできた頑丈な沖縄島の丘を、岸壁を、10万発の砲弾が吹っ飛ばした。

3時間は180分だから、撃ち込まれた砲弾は、1分間で約555発。1秒間に約9発。

「あ」と言う間に、はるか海の向こうから飛んでくる爆弾が約9発も炸裂する。

地形をも変えるほどの、ものすごい破壊力がある爆弾が、1秒で9発だよ。

小さな虫ケラをも見逃さないぞ、生かしてはおかないぞということだ。
自国の軍人が敵国に命がけで上陸するのだから、やられる前にやる。
そして、やるなら徹底的にやる。
それが国土も、人口も、物資も豊富な大国の戦いかたなのだろう。

そんな米軍に『皇軍』の指揮官らは、沈黙していた。
「米軍の上陸を水際で阻止しない」というのが作戦だったから。
なので、それはそれで日本軍の作戦は「成功」した。

当時、沖縄に住んでいた人びとや、沖縄に配置されていた日本兵の運命は、72年前の今日、1945年4月1日より5カ月も前に決まっていた。大本営は、米軍の台湾攻略を恐れ、兵力の多くを台湾に配置した。その時点で、沖縄戦が「持久戦」になることは決まっていた。

『神』がいる『皇土』への米軍上陸を1日でも遅らせるために、なるべく多くの米兵を沖縄という「外地」に上陸させて、そこで1人でも多くの鬼畜米英を殺す。

宝であるはずの命を、喜んで「神」に捧げようとした人びとがいた沖縄は、「捨て石」に最も適していた。皇軍にとって沖縄は、二つと無い最良の戦地だったのかもしれない。

そして米軍にとって沖縄は、日本本土攻略に最も適した「天然の要塞」であり「不沈空母」になった。

72年が経過して米軍の戦略が変わってもなお、米軍にとっての「沖縄」は変わっていない。

嘉手納基地上空から聞こえてきた轟音が、それを証明している。

72年前の今日、米軍が沖縄島に来た。あの日からずっと、ここにいる。

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