Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

我々に人権はないのか!((怒))

2017年2月27日

■ 我々に人権はないのか!*1

「そこにいた彼女が悪かった」 非情で凶悪な供述をした犯人。

悲惨な事件は、戦後何度も何度も繰り返されてきた。

県民の命も尊厳も、

フェンスの中から出てくる
米兵や米軍機にたえず脅かされているにもかかわらず。

怒りと悲しみの波が小さくなり、
日々の暮らしのなかで慣らされ流され、
やがて「いつもの事さ」と諦める。

何一つ変えられないのか。
声を出しても押しつぶされる、
押し付けられ、あまりの惨めさに目をそらす。

でも今

我々は憤っているのだ。

怒りの悲しみの波は増幅しよせては返す大波となった。
日々の暮らしの隅々まで
隠しようの無い現実が見えたから。

なぜ目を伏せる?
なぜ見ぬ振りをする?
自らに問う。
日本全国に問う。

忘れない。忘れてはいけないのだ。

あの暑い集会で、
沖縄戦から現在に至る全ての怒りを思い出したのだ。

吐き出だした憤りの言葉を。
悲しみと諦めと、諦める悔しさを。

声に出してもいいんだよ、抑えられた怒りの言葉を。

もう黙るのはやめよう。

我々に人権はないのか!(怒)

沖縄をウチナーンチュに返せ!!

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毎日新聞2016年6月16日 東京朝刊

沖縄 米軍属による女性殺害事件=佐藤敬一(那覇支局)

米軍嘉手納基地前で開かれた集会で黙とうする参加者=沖縄県北谷町で5月25日

本土は怒りを知らない
 沖縄県うるま市の女性(20)を暴行して殺すなどした疑いで元米海兵隊員で米軍属の男(32)が逮捕された事件を巡り、沖縄では今、やり場のない怒りや悲しみ、悔しさが渦巻いている。県民の怒りが爆発した1995年の米兵3人による少女暴行事件から21年。抗議の声を上げ続けても過重な米軍基地負担を変えられず、未来ある1人の女性の命を守れなかった過酷な現実が県民一人一人に重くのしかかっている。繰り返される事件への沖縄の深い憤りに対し、政府の対応はあまりに小手先で軽く映り、その落差にがくぜんとする。政府は基地問題の本質に向き合うべきだ。

追悼の思い込め、沈黙による抗議
 私は沖縄の取材を始めて7年目になるが、初めて見る「静かな怒り」だった。容疑者が逮捕された3日後の5月22日、在沖縄米海兵隊司令部が置かれる米軍キャンプ瑞慶覧(ずけらん)前で女性団体を中心とした抗議集会が開かれた。普段であれば上がるシュプレヒコールはなく、高く突き上げる拳もなかった。集まった人たちは白か黒の服装に身を包み、追悼の思いを込めて静かに抗議の意思を示した。その場の沈黙からは「あなたを守れなくてごめんなさい」「被害者は私だったかもしれない」という一人一人が当事者として事件をとらえる思いを感じた。

 抗議集会は米軍嘉手納基地前でもあった。元那覇市職員の真栄里泰山(まえざとたいざん)さん(71)は参加するためにタクシーに乗ったところ、運転手から「私の分もお願いします」と言われたという。「表には出さないが、みんな怒っている。政府、本土の人は気づいていない」。そして基地のフェンスの中に投げ込まれた白い花束を指して言った。「今は花束だが、やがて石を投げる運動が始まるかもしれない」

 こうした沖縄の思いに日本政府は向き合っているだろうか。沖縄にいる私にはとてもそう思えない。事件を受けて「タイミングが悪すぎる」と言ったとされる与党関係者の言葉からは、事件直後のオバマ米大統領の広島訪問や来月投開票の参院選など政治日程への影響を抑えたいとの意識しか見えてこないからだ。

 沖縄県が求めているのは、大幅な基地負担の軽減と、米兵や軍属の特権を保障している日米地位協定の改定だ。それは「基地があるがゆえに起きた犯罪」「地位協定で守られているから『何をやっても捕まらない』という意識が米軍関係者にある」という見方が沖縄では、政治的立場を超えて強いからだ。

 だが、政府は翁長雄志(おながたけし)知事が求めた地位協定の改定要求などを一蹴。代わりに打ち出したのが、協定改定でなく運用の見直しであり、警察官の100人増員によるパトロール強化、街路灯や防犯カメラの増設だった。沖縄の要請とのギャップの大きさに、私は言葉が出なかった。県幹部は「(問題の)本質を変えてくださいと言っているのに、政府は全く分かっていない。結局、日本政府は沖縄に寄り添っていない」と憤った。

 米軍基地を抱える自治体の職員は「女性が他国の元兵士に棒で殴られ、骨に傷が残るほど刺されて殺され、物のように雑木林に捨てられたんですよ。国として許せますか。なのに政府が言うのは『街路灯を増やします』。一体何なんだ」と、声を震わせた。

数々の事件が線でつながる
 95年の少女暴行事件後に約8万5000人が集まった県民大会で、当時の大田昌秀知事は「本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からおわびしたい」と述べた。またも忌まわしい事件が起き、多くの県民がこの言葉に気持ちを重ね合わせ、「私たちにも責任がある」との思いを抱いている。

 「本土の人たちは事件が起きてもそれを一つの『点』で見るが、沖縄の人にはそれが『線』でつながっている」。県幹部はそう語った。悲惨な地上戦が展開された71年前の沖縄戦、戦後に繰り返された米兵らによる数々の事件や事故。沖縄の人たちは長い歴史の時間軸の中に今回の事件を位置づけている。

 「再発防止に取り組む」と繰り返す政府が「いつかは怒りは鎮まる」と高をくくっているのであれば間違いだ。「被害者は私だったかもしれない。家族、友人だったかもしれない」(名桜大4年の玉城(たまき)愛さん)と、沖縄の人たちは心底恐怖を感じている。日本を守る日米同盟のために存在する在日米軍が、自分たちに牙をむいてくる現実にも矛盾を感じている。翁長知事は「県民の怒りは限界を超えつつある」と言う。政府が在日米軍専用施設の大半を沖縄に押しつけている問題の本質に向き合わずにこれまでのようにやりすごし、大幅な基地負担軽減や地位協定改定に手をつけなければ、沖縄のマグマは再び爆発するに違いない。

ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20160616/ddm/005/070/018000c#csidx068eab3ca2d55dab7afd6b8a3c04dbd
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