沖縄は孤独なのか

2017年2月20日

■ 沖縄は孤独なのか ■

終戦後、日本本土にも多くの米軍基地があった。しかし米軍の事件事故が多発し、住民の反対運動がおこり、その結果、本土復帰する前の沖縄に移転され集約されてしまった。

異常な基地負担を、知るもの、知らぬふりをするもの、知らぬもの。

差別的冷遇と差別的発言が国会に渦巻く中、
1997年4月11日の野中広務議員 衆議院本会議での発言は削除された。

改正特措法が可決されてしまった事に落胆しながらも、県民は少しだけ嬉しかった。

"理解者はいるのだ" と、
そこに小さな光を見たのだった。

そして今も、
沖縄は現政権下で、孤独な闘いを強いられている。大政翼賛会のような政権の下で。

いや、そんなものに負けてたまるか。
光を自ら灯して歩いていこう。

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翁長武志さんに聞く、
沖縄の保守が突きつけるもの
http://www.geocities.jp/oohira181/onaga_okinawa.htm
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 「戦争中にああいうことがあり、戦後も米軍の占領下でほったらかしにされても、沖縄は日本に操を尽くしてきた。なのに『沖縄さん、基地はあなた方で預かって、かわりに振興策をとればいい』などと全国市長会でも公然と言われる。論戦をしたら大変なことになるので、『そういうわけじゃないんですけどね』と言葉を濁すさびしさ。わかりますか」

 「振興策を利益誘導だというなら、お互い覚悟を決めましょうよ。沖縄に経済援助なんかいらない。税制の優遇措置もなくしてください。そのかわり、基地は返してください。国土の面積0.6%の沖縄で在日米軍基地の74%を引き受ける必要は、さらさらない。いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」

 「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ。玄葉光一郎外相にも言ったが、あんた方のつぎはぎだらけの防衛政策を、ぼくらが命をかけて守る必要はない」

 「自民党野中広務先生は、新米の県議だった僕に『いまは沖縄に基地を置くしかない。すまん。許してくれ』と頭を下げた。でも民主党岡田克也さんなんか、足を組んで、NHKの青年の主張みたいな話をして、愛情もへったくれもない」
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そう翁長氏が語る、
言葉を濁す「わびしさ」。

歴史を知らずして傲慢に語る本土の立ち位置がいかに
滑稽極まりなく傲慢で冷酷なものであるのか、

例えば少なくとも野中氏は「それ」を理解していた数少ない政治家の一人であったといえるだろう。

歴史を紐解きながら、野中氏の言葉を読んでみよう。

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駐留軍用地特措法と特措法 解説 Wikipediaより

野中広務 素顔と軌跡 /第九章政権中枢 大政翼賛会より抜粋
( http://d.hatena.ne.jp/kitano/touch/20040422/p4 より)
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駐留軍用地特措法から特措法改正まで

『敗戦後、1951年、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)が締結され、日本は米軍に基地の用地を提供する義務が生じた。

米軍は終戦直後より基地用地として国有地・民公有地を問わず接収していたが、日本の主権回復によって強制的な「接収」から合意に基づく「提供」へと移行することとなり、民公有地の提供にあたっては、日本国政府が土地所有者と賃貸借契約を結んだ上で米軍に提供することとなった。

しかし、土地所有者の中には反米感情から国との契約に応じない者も多数いた。一方で、条約締結によって米軍への用地提供は日本国政府の義務となったため、国による土地の強制使用の手段を整備する必要が生じた。

土地の強制収用・使用については当時から土地収用法が存在していたが、同法の手続きは非常に厳格であり、手間も時間もかかるものであったため、条約上の義務を履行するという大義名分の下、土地収用法の手続きを簡略化する目的で駐留軍用地特措法が制定された。

用地の選定は内閣総理大臣(現在は防衛大臣)が権限を持ち、首相が「駐留軍の用に供するため土地等を必要とする場合において、その土地等を駐留軍の用に供することが適正且つ合理的」(第三条)と判断した場合は、国内のいかなる土地でも使用・収用できる(借地代は補償される)。

ただし、日本本土の主権回復とともに、米軍に提供された土地は国有地が大半である本土では、1961年以来適用例はなかった。

1972年、アメリカの統治下であった沖縄県が返還された。

沖縄県では、アメリカの統治下時代に膨大な面積の民有地が接収されたため、民有地や県・市町村有地の割合が、県内の軍用地のそれぞれ3割以上と際だって高かった。

そのため沖縄が日本に返還された結果、米軍からの土地返還を求める地主もそれだけ多くなり、さらに米軍基地に反対する反戦地主もこれに加わった。

さらに、国有地の中にも第二次世界大戦中に無償収用された土地があり、旧地主たちは返還訴訟を起こしていた(1995年、最高裁判所で旧地主側の全面敗訴)。

日本政府は時限立法の沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律(公用地暫定使用法)で、5年間は引き続き強制使用を可能にし、その間に買収または賃貸借契約をしようとした。

しかし5年たってもそれに応じない地主が多く、沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置法(地籍明確化法)の附則で使用期限を10年に延長した。

1982年に同法の期限が切れると、21年ぶりに駐留軍用地特措法沖縄県に適用し、引き続き使用を続けた。

▶ 特措法改正

1996年になると、使用期限が切れ、不法占拠となった土地が現れた(楚辺通信所など)。地主らは即時返還を要求した。

そこで、政府は引き続き使用を続けるための改正案を出した。

米軍基地の地主が、契約期間満了後の更新を拒否した場合でも、収用委員会の審理中は補償を行うことで「暫定使用」を引き続き可能とするもので、さらに委員会が使用を却下しても、防衛施設局長が審査請求を行う間は引き続き使用を可能にした。

しかも、附則で使用期限が切れた土地についても、さかのぼって改正案を適用し、土地の明け渡しをせずに済むようにした。

また、新たに土地を使用するための規定を設け、収用委員会が却下裁決を出した場合、首相の権限で使用できるようにした(第二十四条)。

こうして反戦地主と収用委員会を無力化し、土地を「永久に借りておく」ことができるようにするものだった。

この改正案に、沖縄県では激しい反対運動が起こったが、本土での関心は薄かった。

さらに、国会では

「九九%のシェアを持つ二つの新聞(琉球新報沖縄タイムス)によって、それも反戦地主になっている幹部のもとにある新聞社が発行する新聞によって沖縄の心がマインドコントロールされておる」
(1997/4/9衆議院日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会公聴会、新進・西村眞悟。反対の参考人として招かれた新崎盛暉に)

「私権は、安全保障上の重大な国家の利害のために制限を受ける」(1997/5/16衆議院法務委員会、西村)、

「(日米安保の堅持を強調し、安保反対派を「極めて少数の」「はっきり国益に反する」存在であるとした上で)沖縄はもちろん日本の一部でございまして、日本という大きな船の中の一つでございます。沖縄というところは例えばエンジンルームに近くてうるさくて暑い、だから不公平だということでございまして、その負担をある程度みんなで分けようということをやっているわけでございますけれども、完全に分けられるはずのものでもございません」
(1997/4/16参議院公聴会、賛成の参考人岡崎久彦

といった論調が目立った。

改正案は、自民と新進が合意し、民主も賛成の意向を見せたため、圧倒的多数で可決される見込みとなとなった。』

沖縄県の米軍基地用地の確保を続けるため、橋本内閣は米軍用地特別措置法改正案を出し、野中は衆議院で改正案の特別委員長を務めた。法案の委員会通過後、4月11日に野中は衆議院本会議で委員会報告を行ったが、壇上での報告の最後に緊張で腕を大きく震わせながら次のように答弁した。』

野中広務の答弁

『野中は、昭和三十七年(一九六二)沖縄の那覇空港に降り立った。当時は占領下で、米軍飛行場の片鱗にある民間飛行場のようだ、と感じながらタクシーで宜野湾(ぎのわん)市に向かっていた。

京都府出身の部隊が終戦間際、最激戦地・宜野湾で猛攻撃を受け、二千五百余人が戦死した。その慰霊碑を嘉数(かかず)の丘に建立しようと考え、訪問したのだった。

その途中、タクシーの運転手が突然、ブレーキを強く踏んで車を停め「あそこのサトウキビ畑で私の妹が殺された」と言ったかと思うと、急に泣き出した。号泣はしばらく止まらなかった。

報告をしたあと野中は突然、声を高めて

「この際、一言、発言をお許しいただきたい」と述べ、本会議場が一瞬静まるなか、タクシー運転手の心情に触れたあと、異例の演説をした。
  
その時の光景を思いながら日米安保体制の堅持がここに新しい一歩をしるすとともに、沖縄について様々な振興策が、今日まで橋本総理を先頭に誠実に行われてまいりましたけれども、これから長い歴史の中で、たいへんな痛みと犠牲と傷を負ってきた沖縄県民に対して、この法律が新しい沖縄振興のスタートになりますように、そして多くの皆さんのご賛同を得てこの法律は成立しようとしています。

しかし、この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります。」

新進党はこの発言の会議録からの削除を要求し、同党の要求通り会議録から消された。

4月11日の衆議院通過後、4月17日、自民、新進、民主、さきがけ、太陽の賛成、共産、社民、新社、沖縄社大、二院などの反対で可決成立した。衆参ともに、9割前後が賛成の圧倒的多数での可決だった。
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野中広務の演説は議事録から削除された。
しかしその沖縄に寄り添う言葉は私たち県民の心に刻まれた。

このような自民党議員も過去にはいた。
たとえそれが見せかけうわべだけだったとしても、
言葉には力がある。

それが今やどうだ?

今や自民党、あるいは民進党の中ですら、こんな良心派議員はもはや完全に姿を消してしまったのではないか。

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