Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

米軍の沖縄占領とキリスト教

2017年1月12日

■ 米軍の沖縄占領とキリスト教
現在に至る 米軍の 「宣撫工作」
せめぎ合う沖縄のキリスト教

第二次世界大戦中、沖縄の諸教会は沖縄戦を前に事実上消滅していた。戦局悪化で日本出身牧師の大半と沖縄人牧師は信徒と教会を置き去りにして疎開船で本土へ渡った。」

「ようやく生きのびた信徒たちは民間人捕虜収容所で、米軍のチャプレン(従軍牧師)や米兵たちの指導のもとで集会をもち、信徒指導者たちは互いに按手礼を執行して伝道者となった。戦後の沖縄教会を「信徒の教会」と呼ぶのは、それ故である。」

「米軍は当初から沖縄人キリスト者や教会を「宣撫工作」に利用した。宗教団体の指導を分掌する文化部文化課では「軍政府所属牧師」の指導が明記されていた。

また、47年1月に改正された「沖縄キリスト聯盟会則」で顧問として軍政副長官(沖縄の現地最高司令官)と軍政府牧師、それに民政府知事(志喜屋(しきや)孝信(こうしん))が顧問として名を連ねていた。

 また、米国キリスト教協議会の外国伝道部門・北米外国伝道局(FMCNA)にあるメソジスト教会等を中心とした「沖縄特別委員会」では、沖縄伝道のための基本計画が1940年代には出来上がっていた。それは、宣教師による沖縄教会の組織化、合同教会の創設、カレッジの設立、病院の運用、米国の神学校への沖縄人派遣のための奨学金の創設で、これらは50年代にほとんど実現されている。

 また、既に、日本本土では、Douglas MacArthur(GHQ総司令官)が個人的に在米キリスト教各派に1,000名規模の宣教師派遣を要請したが、沖縄伝道に際しても占領軍は最大限の支援を約束した。49年5月、東京の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民間情報教育局での会議の席上、John H. Weckerling (GHQ琉球課長、准将)やBill Woodard (同宗教局代表)、比屋根(ひやね)安定(あんてい)(同宗教顧問、沖縄出身の高名な宗教学者)は、約20名のキリスト教各派の宣教師に沖縄伝道を強く働きかけて便宜を図ることを約束した。また、Weckerlingは比屋根にキリスト教による沖縄の精神的復興を目的として沖縄への伝道旅行を要請した。

 このようにGHQが日本や沖縄伝道を各派に働きかけた背景にあるのは、1940年代の終盤から50年代初頭に次々起こった東アジアの国際情勢は劇的な変化であった(中華人民共和国の成立、朝鮮戦争、対日講和条約日米安保条約の締結)。米国は極東の防共と軍事拠点として沖縄の半永久的軍事占領を既定路線化した。

そのために、沖縄の治安や社会情勢の安定は日米両国にとって重要事項になってくる。キリスト教はそのための「宣撫工作」の手段となっていったが、これは沖縄の教会関係者や沖縄人たちは知る由もなかった。」

軍事占領下沖縄における“救い”と“癒し”の陥穽─キリスト教、国家、地域社会─(※ 仮アップ。大幅変更あり): 沖縄フィールドワーク〜軍事占領・キリスト教史・地域文化研究〜

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