Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

一坪反戦地主

2016年12月18日

■ 一坪反戦地主 ■
長く地道な反基地反戦運動

米軍基地地主は米軍基地を容認してるんじゃね?地代もらえるからウハウハでしょう?なんて声、よく聞かれますね。

大地主はそう多くはなく、中には投資目的で買いあさった移住者(復帰前後)や、内地に住む投資家もいます。

相続税が払えなくて先祖の土地を手放さざるおえない地主と、投資目的で土地を買う新しい地主。基地被害は受けないで、地代はもらうウハウハな人達。

しかし、多くの地主は、生活の糧となるはずの田や畑、家や先祖の墓のある故郷を奪われ、代償として僅かな地代を受け取っているに過ぎません。

そして地代を受け取るには契約をしなくてはいけないのです。

米軍が無理やり取り上げたのに、国は契約という形にすり替えたのです。

さてそんな中、

「一坪反戦地主」という方々がおられます。
ご存知でしょうか?

地主の反戦反基地の闘いです。

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沖縄一坪反戦地主会HPより

http://www.jca.apc.org/heiwa-sr/jp/oki-hitotsubo.html

「軍事基地を生活と生産の場へ!」をスローガンに1982年6月に発足しました。当時の沖縄は米軍に土地を奪い取られた地主が「自分の土地を返してくれ軍隊に使わせたくない」と軍用地に契約することを拒否していました(反戦地主)。ところが、政府は近所に悪口をふれたり、職場に圧力をかけたりと色々な汚いやり方で、反戦地主をいじめ、契約させようとしました。

反戦地主を助ける為に、みんなで地主になって力を合わせよう!」と、心ある人々はみんなで土地を所有し、反戦地主の社会的・経済的な苦しみをやわらげ、米軍から土地を取りもどす運動を始めたのです。これが一坪反戦運動の始まりです。この一坪運動のために土地を取り上げるのが難しくなりました。
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反戦地主の群像 より (必見)

http://www.geocities.jp/unepeace/comment-2.html

「一坪反戦地主運動

 1971年12月、契約を拒否する3,000人が中心となって、「権利と財産を守る軍用地主会」(反戦地主会)が結成された。

それに対して日本政府はありとあらゆる手段で切り崩しを図っていった。反戦地主は5年後には約500人、10年後には200人になった。

 2000年の時点で軍用地主は土地連加盟約3万人、那覇防衛施設局との直接契約約2,000人、一坪反戦地主を除く反戦地主が約100人である。

 1982年、日本政府の圧力に耐え抜いてきた反戦地主を支えるため、一坪反戦地主運動が始まった。反戦地主の土地の一部を譲り受け、一人1万円を出して登記した。

米軍用地特措法が開始された同年12月833名の一坪反戦地主が結集し設立総会が開催された。」

「 反基地闘争を支えてきた反戦地主

 契約拒否地主は反戦地主会に入っている人もいれば入っていない人もいる。それぞれの立場で基地に土地を提供することを拒否してきた。

 1995年、契約拒否地主の代理署名を大田昌秀知事が拒否した。拒否できたのは反戦地主の闘いがあったからである。国の委任事務を拒否したとして知事は総理大臣に訴えられた。それに対し、沖縄県側は23人の反戦地主の証人申請をしたが却下された。結果は敗訴。

 1999年「米軍用地特措法」の改定により、総理大臣が代理署名することで強制使用できることになった。  

国民の権利よりも、国益が優先にされるという憲法と矛盾する法律が成立したのである。」

沖縄一坪反戦地主会

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