Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

お父さんの思い

2016年11月19日

「 お父さんの思い 」

あれから半年。私たちは、未だ悪夢の中にいる。

遺族やご友人の方々にとっては、この悪夢は一生続く。

女性の父親が手記を発表しています。

(以下、琉球新報より)

気持ちの整理つかない/一日も早い基地撤去を 被害女性の父が手記
2016年11月19日 06:30
沖縄 米軍 軍属 女性暴行 殺人

 【北部】米軍属女性暴行殺人事件の被害者の遺体が発見されてから19日で半年になる。被害女性の父親が代理人を通じて、現在の思いを伝える手記を発表した。日付は17日付。

 手記で、父親は「娘の無念を思うと気持ちの整理がつきません。毎朝仏壇に手を合わせると涙が出てきます」と現在の思いを語った。
 成人式の日に「体に気をつけてね」と言った言葉が娘との最後の会話になったとし「ちょっとした楽しみも待っていました。居酒屋でお酒を一緒に飲むことです。娘にお酒をついでほしかったのです」と娘を亡くした悲しみをつづった。
 その上で被告人に対しては「極刑を望みます。私たち遺族にはいかなる言い訳も通用しません。被告人は人ではありません」とした。
 さらに「この事件を最後に米軍人、軍属の事件がなくなり、もうこれ以上私たちのような苦しみ、悲しみを受ける人がいなくなるよう願います」「一日も早い基地の撤去を県民として願っています」と基地撤去への思いをつづった。

手記(全文)
 娘が生きていると信じ地域周辺を必死に捜し回った日々を思い出すことがあります。娘の無念を思うと気持ちの整理がつきません。毎朝仏壇に手を合わせると涙が出てきます。いつまでこの気持ちでいるのか今の私にできることは娘を供養してあげることだけです。
 それと遺族に対する支援と皆さんの優しい気持ちに感謝しています。
 今でもなぜ娘なのか、なぜ殺されなければならなかったのか、今でも思います。今は供養してあげることしかできません。裁判もこれからで今の私には気持ちの整理はできません。
 娘の母親、交際相手だった方もいろんな思いがあると思います。これからも娘への思いは変わらないと思います。
 被告人には極刑を望みます。私たち遺族はいかなる言い訳も通用しません。被告人は人ではありません。
 娘は帝王切開で未熟児で生まれ病院で入院し私たちは心配しました。でもこれといった大きな病気、けがはなく育ってくれました。娘の名は私がつけました。生まれる前から女の子と分かっていましたので2文字のかわいい、呼びやすい名で(実名)と名付けました。笑顔がかわいい、優しい娘に育ってくれました。私が35歳で生まれた大事な一人娘です。最後に会ったのは成人式で私の実家で会い、記念写真を撮り、とても着物姿が似合っていました。別れるとき玄関で娘と握手をし、(実名)体に気をつけてね、と言い、それが娘との最後の会話でした。ちょっとした楽しみも待っていました。居酒屋でお酒を一緒に飲むことです。娘にお酒をついでほしかったのです。今はいろんな思い出が多く言葉になりません。
 この事件を最後に米軍人、軍属の事件がなくなりもうこれ以上私たちのような苦しみ、悲しみを受ける人がいなくなるよう願います。それは沖縄に米軍基地があるがゆえに起こることです。一日も早い基地の撤去を県民として願っています。
 2016年11月17日
娘の父より
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-396886.html

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