熊本の被災地を飛ぶゼロ戦
2016年6月7日
ゼロ戦が空を飛ぶ。
太平洋戦争時のゼロ戦が熊本を飛ぶ。復原機だが。それで「見物客は喉を詰まらせ涙を流す」という。そんな「感動的な」映像をたれながす日本のメディア。
「空港近くで見守った地元の女性(58)と妹(53)は「つらい日々だったが、零戦が飛ぶ姿に感動した」と声をそろえた。」(2016/06/01付 西日本新聞朝刊)
熊本市の企業がスポンサーに名乗りを上げて実現したという。機体を安全に飛行させるまでリストアするとなると、相当の費用がかかるはずだが、その金額は提示されていない。
被災者支援よりもゼロ戦につぎ込む、そんなに被災地には資金が余っているのか。背後のスポンサーは誰なのか。
また、復元戦を飛行させるには各省庁の許可が必要だったのだから、これは政府が関与していないわけがない。いや、安倍政権は積極的に関与しているはずだ。
被災地に励ましや気晴らしも必要だ。被災地の子供たちは娯楽も必要としている。しかし、太平洋戦争で「特攻機」としても使われ、たくさんの命を奪ったゼロ戦が被災地を飛ぶ、これがどう感動的なのか。
被災地を飛ぶ戦争時代の遺物。仮設住宅の整備もまだ追いついていないのに、灰色のミリオタ趣味にそれほど感動して母子ともに涙している姿は、本当に被災地の現実を伝えているのだろうか。その図柄をなぜメディアは「声をそろえて」などと誇張して報道するのか。
震災は、確かに国の緊急事態だ。そして今、安倍政権は、憲法を改正して「緊急事態宣言」を盛り込もうとしている。こうなると、国民の権利はいちじるしく制限され、参議院は解散されず、内閣はさまざまな政令を発令し、予算を決め、自治体に命令を下すことができる。
震災という「緊急事態」と、国家の「軍事行動」。
このあやしい日本の空模様を、71年前からよみがえったゼロ戦が横断する。
何に涙しているのか考えよ。ほんとうに被災地の空に浮かぶのは虹色の風船でもよかったはずだ。なぜゼロ戦なのかを考えよ。
こうした日本の過度な感傷主義と思考停止が、ずさんな政治を生み、戦争の歯止めを失わせ、貧困と死の淵に子供たちを追い込むのだ。
(西日本新聞の記事は、現在削除されているので、下の記事を参照)